百鬼一族 血脈の書

百鬼一族 血脈の書

当サイトは俺の屍を越えてゆけ リメイクのプレイ日記となります。

伽羅の懐古  2  上

『おはよう、今日は昨日より調子がいい感じなんだ。だから久しぶりに出かけてもいい?え、駄目?……雨が降っているから?……どうしても駄目なの?
……残念、街に出かけたいなーって思っていたのに。はいはい、そんなに言わなくても分かってるって。今日は大人しくしてますー。
そのかわりに、ね?またあたしの話しを聞いてよ。聞いてくれるなら大人しくするからさ!
もう。そんな嫌な顔しないでよ、ほら、お菓子あげる。あたしの秘密のおやつだよ、皆にはないしょだからね?
ふふ、うん。大事に食べてね。
よし、それじゃあ話そうか。そうだなあ……今回は、この前話した討伐後の話しをしようかな』









窓の隙間から陽の光が溢れ、伽羅の手を射す。自室の中でじんわりと暖かい春の心地を味わいながら、握った筆を滑らせて字を書き連ねていく。

昨晩、相翼院に向かった四人が無事に帰還した。初めて親玉の討伐達成、そして全員無事の帰還。その事実に家族総出でお祝いムードで昨日は大はしゃぎ。

そのせいで纏め終えていなかった書類を、伽羅は今日の朝方からずっとしたためていた。


「よし、終わったー……!」


ずっと同じ姿勢のせいで凝り固まっていた体の凝りを、背伸びをして緩やかに解す。
文字だけをひたすら見つめていたからだろうか、目も疲れている気がして、伽羅はぐっと目元を揉んだ。

近頃の己は、前よりも疲れやすくなっている気がする。体の老化を感じてしまい、伽羅はなんとも言えない気持ちになった。

揉むのをやめて、自分が書き上げた内容を読み上げる。後世にも残ることになる資料だ。これで大丈夫なのか最終確認するために、最初からゆっくりと読んでいく。


「これでいいかなー……。
あーでも、もう一回聞いておくべきかな……うーん……」


読み返した限り問題は無いと感じたが、昨日は全員無事に帰ってきたことが嬉しくて、そして彼等は帰ってこれたことが嬉しかったのか、皆かなりはしゃいでいた。

そのせいでもしかしたら、報告をきちんと聞けていなかったかも知れない。伽羅は一抹の不安を覚え、思わず唸る。
それに一日経って落ち着いた今聞いたら、彼等もまた、何か違う気付きがあるやも知れない。

そう思や否や、伽羅は机の上の筆や用紙を適当に片付け、昨日帰ってきた討伐隊の四名に話しを聞く為に部屋を後にした。








今日は出陣も訓練も無く、全員ゆっくりする予定だったはず。
伽羅は昨日聞いた四人の予定を思い出しながら廊下を歩いていると、縁側で茶を飲んでいる見慣れた青色を見つけた。あの明るい青色は、芥子の色だ。

何か考え事でもしているのだろうか。ぼうっと外を眺めていて、此方に気付いている様子はない。


(分かりやすいくらいに気が抜けてるなあ。
ああでも芥子の場合悩みやすい性格してるし、もしかしてまた何か考え込んでる最中……?
あたしの考え過ぎならいいけど、討伐前にも凄く悩んだりしてたし…………あ、そうだ。
いつも見たく驚かせて気分転換させてあげよう!そこから話を切り出そう!うん、いい考えじゃない?)


そっと音を立てないよう注意して、ゆっくりゆっくりと芥子へと近づく。ターゲットは木に留まっている鳥に夢中の模様で、此方に気付いている気配はない。

抜き足刺し足をしてそっと背後まで来ることに成功した伽羅は、隙だらけのその背中に思いっきり飛びついた。


「けーしーちゃーーーーん!!」
「きゃぁああ!?」


勢いよく伽羅が飛びつくと、全く気付いていなかったのか、芥子は大きな声を上げて持っていた湯のみが手から滑り落ちかけた。

慌ててお茶を持ち直すと、その反応に満足して楽しげに笑う伽羅を見て芥子は眉を釣り上げてきっと睨みつける。


「もう、伽羅! 危ないでしょう!」
「あははっ、ごめんごめん」
「また人をからかって……!
こら、いい加減離れなさい!」
「はーい」
「はあ、全く……一体なんなのよ……」


こうやって驚かせたり振り回されるのが日常茶飯事だからか、芥子の怒りは直ぐに収まった。その代わりに、大きくため息を一つ零された。

普段通りな彼女の姿に、伽羅は心の奥で安堵を覚える。真面目な妹のことだ、昨日はテンションが高くて分かりづらかったけども、もしかしたら討伐前のことと言い、何かまた抱えているかもしれない……と。そう不安に感じていたのだ。

ただし、まだ注意深く様子を見れていないから油断は出来ない。さっきは本当にぼうっとしていただけなのか、それとも悩んでいるからそうしていたのか……そこをしっかりと聞き出さなければ。

軽く謝りながら、伽羅は芥子の隣に座り直す。彼女が持ってきていた茶菓子の饅頭を半分こにして分けて貰い、少しず摘みながら問いかけた。


「ねえ芥子」
「なにかしら」
「昨日聞いたけどさあ。
ほら、昨日は皆討伐出来たことにはしゃいでテンション高かったじゃん?」
「そうね。飲んで食べて大騒ぎして。
おかげで今朝は片付けが大変だったわ……」
「全員生きていることにはしゃぎまくったもんねー。
……とまあそんな風にはしゃいでたからさ、皆の報告を疑って悪いけど、ちょっと不安になっちゃって。
それで!
改めて聞こうかなーと思って芥子のところに来ました! どう、昨日と今日で見方が変わったーとかある?」


手をマイクの様に芥子に振って、テンションを高くして話しをかける。
こういう態度に慣れっこなのだろう。そんな伽羅をスルーし芥子は口元に手を当ててゆっくりと、時間を掛けて思案し出した。

一、二分は経った頃。伽羅が手を伸ばした状態を維持するのが辛いと感じ始めたくらいで、考えが纏まったのか、手を下ろし芥子は口を開いた。


「昨日、私達が伽羅に報告した内容は大まかに四つ。
天女の言動、姿形、戦闘時の状況、黄川人の話との整合性……口頭報告と同時に渡した簡易的な報告書も、私の記憶の限りでは盛ったり誤ったことは書いていないわ。
もし心配なら、報告書を見直してきましょうか?」
「ううん、芥子がそう言うなら大丈夫でしょ。でも、後で天女についてあたしが纏めた書類に目を通してくれたら嬉しいかな。そっちの添削をして欲しいし」
「ええ、後で見ておくわ。
部屋の何処に書類は置いているのかしら?」
「机の上に置いたままだから、分かりやすいと思うよ」
「……置いたままなの?
しっかり片付けなさい。
もしも置いたままなせいで、風で飛んだりしたらどうするの……」


呆れた目で見てくる芥子。それに逃れるように視線を逸らし、伽羅は再び饅頭に口をつけた。適当に置いてる訳じゃないんだけどなあ、と心の中でこっそりと言い訳をする。


「あはは、気を付けますー。
…あ、そうそう! あたし報告書以外にも知りたいこともあったんだよね。それもあって聞きにきたんだったー!」


わざとらしいぐらい強引な話の変え方をすると、芥子はもうツッコミを入れる気力も無いのか言葉を流した。


「……知りたいことって?
私で答えれることなら良いのだけれど」
「大丈夫大丈夫、難しい話じゃないよ。
芥子から見た天女がさ、どんな奴だったか教えて欲しいんだ。客観的意見だけじゃなくて、主観的な天女像も知っておきたくてね」
「私から見た天女……?
別に構わないけれど…………少し、考えをまとめるから。待ってちょうだい」


熟考を開始した為、芥子はまた口元に手を当てて考え出した。
待ちながら伽羅は、こっそりと芥子の様子に目を光らせる。

芥子の主観を求めたのは、適当にはぐらかしたのでは無く様子を探りたいからだ。
報告内容を聞いたのは本当に気にしていたからだが、我が家で一番記録や記憶することに長けている芥子が確認してくれるならこちらは問題無いだろう。

主観ならば、己の心情が必ず出る。何かしら悩んでいるのだとしたら、それは討伐時に何かあったと伽羅は見ていた。
だからこそ、当時の主観的意見を求めたのだった。


「そう、ね。私から見た天女は……本当に主観的意見になるけど、いいのよね?」
「どーぞー」
「…………対峙している瞬間は、絶対に倒さなきゃいけないって言う気持ちが強かったのよ。
誰も死なせずに倒さないとって……その気持ちが強くて。最初は、大きな障害としか見ていなかったわ。
……天女個人は、見てはいなくて…………そう、戦いの最中なのに、私、認識していなかったのよ。倒さないと倒さないとって、その気持ちのせいで、見えなくなってた」
「……そっか、認識してなかったんだね。
……なんか、芥子らしいや」


その言葉に含みを感じたのか、それとも不快に思ったのか……芥子が訝しげな顔になる。
確かに、相変わらず真面目だなという気持ちを持って言ったが、決して皮肉で言った訳では無い。

それだけ真摯に、重く大きく、彼女が親玉討伐を見ていたと知れて。討伐隊の帰りを待っていた時の己の心象と似ていると感じて、出てしまった言葉だ。だから決して、貶そうとして言ったのでは無い。

伽羅は気にしないでと手で即すと、芥子は何が言いたげな顔をしていたが、そのまま続きを話してくれた。


「しっかりと天女の存在を認識したのは……二度目の芭蕉嵐を受けて、恒春が膝を着いた時。
それまでも、ちゃんと顔を見ていたはずなのよ?
だけど、恒が血だらけで膝を着いて、苦しそうになって。……頭が真っ白になって、手が、震えて。戦いの最中なのに、止まってしまって。
……そこでようやく、本当にようやく、私が戦っているのが、迷宮の親玉なんだってハッキリと理解したの」


芥子は自覚していないのだろう。膝に置かれている手を強く握っていることに、当時を思い出しているせいなのか、 顔が強ばっていることに。
平常心なら、普段の芥子から考えて、もっと淡々と話していただろうと伽羅は思った。

私見を話して欲しいと確かに告げたが、今話している内容は、とても主観的だと伽羅は感じた。
……それだけ芥子は天女に、家族を失うかも知れない事実に、恐怖したのだろう。


「芥子は怖かったんだね。怖くて堪らなくて、だから周りが見えなくなってたんだね」
「そ、う。……そう、私、怖かったのでしょうね。
そのせいで、普段通りに動けなくなっていて……最後の、三度目の芭蕉嵐が来た時。私も、恒と同じくらい大怪我を負ったの。
凄く痛くて、痛くて、私と恒の周りの床は真っ赤に染まっていて、人はこんなにも血を流せるんだと知ったわ。
……その後は無我夢中だった。兎に角必死に槌をふるったの。あれを倒さなきゃって。
そして気が付いたら、目の前に倒れ伏している天女が居たわ。
遠くから近付いてくる皆を見て、そこでやっと私は、自分がトドメを刺したのだと分かったの」


ゆっくりと自分でその時を振り返る芥子の姿に、当時を出来事を噛み締めているように伽羅には見えた。

自分達は、その辺の鬼にはそうそう負けない位には実力がある。それ故に家族皆、今まで瀕死の重傷はほぼ負ったことが無かった。
だからこそ自分や家族が大怪我を負うかも知れない状況が、芥子は怖かったのだ。

当時の話しをして、恐怖をまた感じているのかも知れない。そう思った伽羅は、刺激しないように、出来るだけそっと話しかけた。


「……ねえ、今も怖い?」
「いいえ、今はもう怖くないわ。ただ……」
「ただ?」
「少し、気になることがあるだけよ」


眉を顰める芥子に安心して欲しくて、天女の攻撃で細かな傷痕だらけとなった手を、伽羅はそっと握った。
手に温もりが来たことに驚き見つめてきた芥子に、伽羅はとびっきりの笑顔を作った。


「だいじょーぶ!
怖いモノはこの伽羅お姉ちゃんが退治するよ! ……だからお願い、話して欲しいな」
「伽羅……ありがとう。
でも、気持ちは嬉しいけれど私は幼い子供じゃないわ。気遣いは不要よ?」
「気遣いじゃないよ、あたしがしたくてしてるだけ。
というか、そんな中途半端に言われたら気になって眠れなくなっちゃうでしょ!
だからお願い芥子ちゃん、おーしーえーて〜」


ぶんぶんと握った手を振って伽羅がおどけて見せると、芥子は少しだけ笑ってくれた。


「ふふ、そうなの? なら仕方がないわね」
「そー、仕方がないの。
……でもね、言いたくないなら聞かないよ?」


そう言うと、芥子は少し悩む素振りをした。静かに答えが出るのを待っていると、そう時間も掛からずに彼女は再び口を開いた。


「…………恒春のことだけど」
「恒春?」
「ええ。……見間違いかも知れないけど、大怪我を負った恒はとても苦しそうにしていたわ。でも、前髪の隙間から見えたあの顔は……笑っているように見えたのよ。楽しそうにも見えたわ」
「……恒春が? 本当に?」
「見間違いだと思いたいわ。だけど二回、二回もよ?
三度目の芭蕉嵐を受けた直後のことよ。あの子、笑っているように確かに見えたのよ。今まで見たこともないような、とても楽しそうな笑顔だったわ。その顔が、ずっと頭に残っているの……」
「……まじで?」
「ええ」


伽羅の知る恒春は、生意気なところもあるが優しくて可愛い弟だ。鍛錬や今まで共に行った討伐を思い出してみても、好戦的でも、戦いを楽しむタイプでも無かった覚えしかない。
強いて言うなら、弟は冷静に場を見て戦うタイプだと伽羅は思っている。


「あの恒春が、ねえ……確かにそんな顔を見たら、忘れ難くなっちゃうだろうね」
「そうね、普段は落ち着いた子だから……
本人に聞くのが手っ取り早いのでしょうけど、簡単に踏み込んでいいのか……分からなくて」
「“死にかけたのに笑ってたんだって?”
なーんて聞いたら、‘はあ? 何言ってんの’ってはぐらかされる可能性があるもんね。
ちなみに、梔子達はこのことを知ってるの?」
「多分知らないわ。術を受けて私と恒は同じ方向に2人して飛ばされて、梔子達は遠くに居たから……」


それに、見間違いかも知れないから。自分に言い聞かせたいのか、芥子はその言葉をまた呟いた。

うーんと、伽羅は腕組をしてどうするか考え出す。恐らく自分や梔子の反面教師で思慮深い性格の芥子では、恒春に本当はどうだったのかを聞き出すのは難しいかも知れない。共に討伐に出ていた梔子や山茶花に、一応聞いてみるのもいいかも知れないが……。


(んー……、でも見てたならあの二人の場合、近くにいた芥子に確認を取りそうだよね)


自分は今、芥子に天女の話しを聞くという名目を使っている。
これを恒春にも使って聞いてみればいいのでは? よし、そうしよう。決断を下すと、伽羅は脳内会議を終了させる。


「恒春にはあたしからそれとなく聞いてみるよ、何か分かったら教えるね」
「ありがとう、伽羅。
それとごめんなさい。天女の話だったのに、別の話題にすり替えてしまって」
「気にしてないからいいよ~。天女のこともある意味聞けたからね。
それに、恒春のことは放っておいたら良くなさそうだしね」


饅頭の最後の一口を口に放り入れ、芥子のお茶を少し貰って喉を潤す。手を合わせ食べ物への感謝を告げると、伽羅はその場で立ち上がった。


「話も聞けたことだし、また別の人に意見を聞きに行くね。お饅頭とお茶をくれてありがとう!」
「どういたしまして。
ねえ、本当にあの意見で良かったの?
ほぼ私の話しかしていなかったけど……」
「それだけ芥子にとって、親玉討伐は重大な案件だったと知れたんだから、それでいーの。
次の子達に当時の意見を遺すことも必要だと思うからさ」
「そう……それなら良かったわ」
「うん。
それじゃ、あたしはもう行くね。また今度一緒にお茶でも飲んでのんびりしようね〜」


二、三度軽く手を振ってから、伽羅は芥子の元を去っていく。
ちらりと、視線だけで縁側の角を曲がる際に見た芥子の顔はいつも通りになっていた。
これなら心配ないなと安心し、伽羅は足を進めて残りの討伐隊員を探しに出る。








「……あ。芥子が確認してくれるなら、報告書の話で攻めるの無理じゃない?」


唐突に気付いて、伽羅は思わずその場で立ち止まった。
別に聞く位いいのでは無いか、そう甘く考えそうになるのをかぶりを振ってその思考を打ち消す。

何故無理なのか。それは芥子が記録記述をすることに一等長けていて、尚且つ百鬼家の記録管理を務めているからだ。
初代の遺訓により鬼や迷宮、交神等の月々にしたことを纏めるのは当主の役目になっている。だが纏めた資料の管理をしているのは、初代当主の三人目の子、延珠の家系が担っているのだ。
そして討伐に出た際の報告書を作るのは、比較的に記録に関することに長けている、延珠の家系である芥子が引き受けることが多い。

そういう理由故に、記録のプロフェッショナルな芥子が確認してくれるのなら、梔子達に聞く必要性は無い。ぶっちゃけ無い。
そして、特に聞けないのが恒春だ。念のために聞いておきたくて……等と言って、後に芥子が見るということがバレたら……。
伽羅には少しつんつんしている節がある彼ならば冷めた目で、‘ 芥子の記憶力を信頼してないの? 伽羅姉さん……ふーん、そう。 ’と機嫌を損ねてしまう可能性があるのだ。


(そんな目で見られたら、お姉ちゃんショックだからなー……まあ、日頃の行いのせいだから仕方ないんだけどね)


家族内で強いて言うのならば、恒春は芥子と一番仲が良い。一族の記録管理をしている彼女の記憶力と記述力を、恒春は尊敬している節がある。そんな尊敬している芥子を疑うようなことをしたら……。

先に芥子の話を聞いたことがデメリットになるとは……、伽羅は思わず頭を抱えたい気持ちになった。
別に芥子に黙ってもらうように頼み、自分は先に聞いたことと、後ほど確認してくれることを黙っていればいいのだろう。
だが何かの拍子にこの事実が漏れ出たならば……。この世に絶対という物は無いからこそ、もしもの時に恒春がどんな反応をするかは目に見えている。


(うーん……考え過ぎだとは分かっているんだけど、信頼してないって思われたら嫌だからなあ……。
……うん、よし、決めた!
恒春には芥子に使った二つ目の手だけでいこう)


軽く逡巡した結果。伽羅は恒春には、芥子に使った二つ目の話題である、主観的意見から話を切り出すことを決め込んだ。

そうと決めたなら、もう考える必要は無い。
その場に立ち止まるのをやめて、伽羅は残りの三人を探すため一歩前へと踏みした。








特に誰に会おうと考えず、家の廊下を適当に歩いて行く。今現在、家には伽羅を含めて六人の人間が住んでいる。
確か樒とイツ花の二人は、少し前に買い物へ出て行くと言っていた。恐らく帰ってくるにはまだ早いだろうから、今は自分を含めて四人だけの筈。
何も言わずに出掛けていないのなら、残りの三人は恐らく家に中に居るだろう。


(自室、居間、庭、広間……蔵とか他の場所の可能性もあるよね。取り敢えず一つずつ巡って行っていたら絶対に会えるでしょ)


適当に足を進めていると微かにだが、べべん、と広間のある辺りから、三味線を弾く音が伽羅の入ってきた。恐らく、恒春が弾いているのだろう。
かつては、彼の父である荻も三味線を奏でることはあった。しかし今現在、我が家で三味線を弾く人間は彼しかいない。


「噂をすれば陰がさす、てことかな」


さっき考えたから恒春を見つけることが出来たのかなと、一人でに呟いて伽羅は足早に音がする方向へと向かっていく。

推測通り、演奏をしているのは恒春だったようで。
音色が聞こえる広間の襖をそっと開けて顔を覗かせると、開けた襖から反対側にある襖の縁を背もたれにして敷居の上に座り、庭を眺めながら恒春は三味線を弾いていた。
どうやら向こう側の襖が開いていたことで音が漏れ、それで気付くことが出来たようだった。


(相変わらず凄いな〜。あたしは弾けないから尊敬しちゃう)


得意なだけあって、恒春が奏でる演奏は耳に心地が良い。本人が至極楽しそうに演奏しているのも相まって、家族全員が彼の三味線を弾く姿が好んでいる。
演奏を中断するのは勿体無いと思い、伽羅は今恒春が弾いてる曲が終わるまでは、その場で座って待つことにした。

目を閉じて耳を傾けていると、恒春が弾きながら小さく鼻唄をしているのが聞こえてきた。相当気分良く弾いている様だ。


「〜〜♪」


(……こういう平和な時間って本当に幸せだなあ)


心暖まる気持ちになりながら、伽羅は静かに耳を集中させて演奏を聞き入る。
一分、二分、いや、数分経っただろうか。演奏が終了して恒春の手が止まった。
ふう、と満足そうに息をつく恒春に向かって、伽羅は立ち上がって惜しみない拍手を送る。


「……は、うわッ?! 姉さん居たの!?」
「居た!! 恒春はやっぱり凄いね! いい演奏だった! ! 恒春さっすがあ!」
「ちょ、ウザっ、そういうのウザいからやめてくれる!?」
「あははっ、ごめんね。何も弾けないあたしからしたら、恒春は天才にしか見えないからさ〜」


伽羅の言葉が恥ずかしいのか嫌なのか、恒春は若干顔を赤くして睨んできた。
咎めるような視線を送っているつもりだろうが、伽羅からしたらぷんぷん怒ってる位にしか見えない。
それが面白くて可愛くて、構い過ぎて更に怒られる。そんなことを毎度懲りずにしていて、つい思わずしたくなってしまう。
だが、今回は用事がある。伽羅はしたくなる気持ちをぐっと我慢して抑えた。

恒春は伽羅にまだ文句を言いたそうだったが、これ以上言っても馬耳東風だと悟ったのだろう。せめてもの抵抗か、これ見よがしに大きくため息をついた。


「はあーーーー……もういいよ。それで?
オレに何か用でもあるの?」
「ある、すっごーーくある。楽しそうに弾いていたところ申し訳ないけど、ちょっとだけいい?」
「別に良いけどさ……なに?
あと、そんなに離れたままだと喋りにくいでしょ。こっちに来たら?」


つんけんした物言いをしながらも、恒春は辺りに適当に置いていた楽譜や譜面立てを端に寄せて、自分の横を叩く。
ウザがっても隣に来るのを許してくれる、そういうところが可愛いよねと、伽羅は思い掛けずも微笑ましい気持ちを覚える。
恒春にお礼を言って、楽譜等を踏まないように気をつけながら隣に座った。


「ありがと」
「どういたしまして。 ……ねえ、寒くない?
襖を閉めた方がいいなら閉めるけど」
「え、うそ……恒春が優しい……!!
嬉しいな姉さん泣いちゃう!」


日頃の扱い方のせいで、恒春が伽羅や梔子に優しさを向けてくれることはあまり無い。
それ故、たまに優しくされるとついついオーバーになってしまい、そのせいでもっと嫌がられる。悪循環だと分かっているが、伽羅は嬉しさが耐えきれなくて思わず口元を手で抑えた。


「ああもうっ、そういうのいいから!
ただ単に姉さんがいい歳だから聞いただけだから! それで閉めた方がいいの? いらないの!?」
「あははー。大丈夫だよ、ありがとね。
あたしはまだまだ現役のつもりだからね!
心配は無用だよ!」
「そう、それならいいけど……。
姉さんはもう一歳九ヶ月なんだから、無用かも知れないけど一応体調には気をつけてよね」


最初から大丈夫だと言えばいいのに、何で一回はからかいを挟むの、とぶつくさ呟く恒春をまあまあと宥めかして、伽羅はようやく本題に入ることにした。


「何しにきたかって言うとね、昨日討伐の報告してくれたでしょ?
ちょっとそのことで聞きたいことがあって」
「聞きたいこと? ……もしかして、何か分からないことでもあったの?
報告書に不備でもあった? 梔子兄さんと芥子に見て貰ったけど、今回はオレと山茶花が主体になって書いたから……」


その家独自の決まりは、どの家にもあるだろう。それは百鬼家にも存在する。先述した当主が後世への資料を書くのも然り、延珠の家系がそれを管理することも然り。

その他にも、何度か述べてはいるが百鬼家では、討伐に出た際にはその討伐隊が報告書を作るという物がある。
基本的に討伐隊として出ているなら当主が、もしくは記録管理担当の芥子がすることが多い。だが、常に二家系のどちらかが討伐に出れるとは限らない。その為にこの二家系以外も書けるように、時々指導されて代わりに書くことがあるのだ。

顔色を影らせる恒春に、伽羅は安心させるように優しく笑いながら手を振って否定する。


「ううん、報告書に問題はないよ。読みやすかったから安心して?
個人的に付け加えて書いておきたいことがあってね、それで聞き回ってる最中なんだ」
「そ……、なら良かった。
話を遮ってごめん。それで、聞きたいことって何なの?」
「人間の血が濃いあたし達の、親玉討伐時の主観を子孫に遺しておこうと考えていてね。
それで、天女との戦った時の個人的意見を聞きたくて。教えて貰ってもいい?」


(大怪我したのに笑ってたいたのが本当なのか、そっちも知りたいんだけどね!)


恒春の性格からして、芥子の懸念案件をストレートに聞き出すのはまず無理だろう。
そう考えた伽羅は、個人的意見を先に聞き出すことにした。その話の最中から、何か芥子の懸念案件のヒントを聞き出せないかと考えたからである。


「オレ個人の意見? 別にいいけど。
自分の思ったことを話せばいい?」
「うん。お願い」


恒春は手の上で三味線で使う撥(ばち)を弄びながら、芥子とは違い思いつく限りをすらすらと当時のことを話し出した。


「天女の言葉とか、様子や姿はもう報告したからさ。単純な感想だけ言うね。

奥の……鬼子母の間だっけ。あそこに皆で入って直ぐに、上から天女は降りてきたんだ。

穏やかに笑って話し出したと思ったら、急に子供を返してって叫ぶし攻撃してくるし……確かに、これは話が通じない生き物だなって感じたね」


当時のことの話をしているせいで、嫌だった気持ちも思い出したのか、恒春は嫌そうに顔を少し歪めた。労いたい気持ちで頭を撫でようとしたら、それとなく頭を反らせれた。その反応にショックを受けた。
そんな姉から心持ち距離を取りつつ、恒春は話を続け直した。


「いままで戦ってきた鬼達より強くて恐ろしいのは、その気迫と殺気でひしひしと伝わったよ。隣にいた芥子は緊張してたのか息を呑む音が聞こえたけど、オレは……いつも通りに戦うことを意識してたかな」
「やっぱり芥子は緊張したかー」
「うん。だけどちゃんと戦えてたよ?
最初だけ少し固かったけど」
「そっか……それなら良かった。
ねえ、報告では芥子と恒春は大怪我したってあったけど……本当にもう大丈夫?」
「伽羅姉さんは心配しすぎ。大丈夫だって昨日何度も言ったでしょ。ほら、この通りだって」


着物の襟を広げて、恒春は左肩を出して背中を見せた。そこには肩から背中にかけて、何か大きな、まるで鎌にでも裂かれた様な裂傷の跡があった。彼が家に帰って来たころには、血は止まっていて既に包帯も解かれていた。だがしかし、傷の生々しさはまだ健在で、見ているだけでも痛々しい。


(普通、一か月でこんな大怪我治らないのに……こんな時だけ、あたし達が人離れしていて良かったと思えるよ。
でも人離れした、人知を超えた呪いや血がなければ……こんな目に、皆が合わなくて良かったのかな)


思わず吐き捨てたくなる気持ちを抑え込んで、伽羅はほっとした顔を作りだす。そしてやや強い力で恒春の傷跡の下らへん、腰辺りを叩いた。


「そっかそっか、なら良かった!
あー一安心した!」
「い゙ッ!! それは良かったけど!!
ちょっとそれは痛いから! 傷口に響くから叩くのは止めてよね!?」
「あ、ごめんね」


てへ、とわざとらしく謝ると、少し涙目になった恒春にとても睨まれた。大袈裟に反応し過ぎたかと内省していると、また叩かれる事を危ぐしたのか、恒春は手早く着物を着直した。


「ああもうっ、ほんと姉さんはがさつなんだから……! 言っておくけど芥子にもこんなことしたら駄目だからね? オレと違って小さな傷痕が沢山あるから、どこを触って痛がるか分かんないし…」
「本当にごめん、今のはやり過ぎた。
勿論芥子にも絶対しないから!」


芥子は恒春とは違い、巻き上げられた床や壁の木片、芭蕉嵐の風による鎌鼬で身体中に細かな傷を無数に負った。人離れした回復力のおかげで傷口は綺麗に閉じているが、まだ痕は体中に残っている。それ故に恒春は心配しているのだろう。

反省の意を見せる為、両手を合わせて頭を下げ続けていると、もういいからと恒春に溜息をつかれた。



「もう、伽羅姉さんや梔子兄さん達はもう少し加減を覚えてよね?」
「覚える、梔子にも言う!」
「はー……、それならいいよ。
で、話しを戻すけどさ。討伐前に決めた作戦で、梔子兄さんに武人を何度もかけてその攻撃力を写して戦うようにってなってたでしょ?」
「うん、覚えてる」
「皆で武人をかけながら、オレは芥子と要の兄さんに天女が攻撃しないよう、前に出て囮をしてた。
オレのが芥子より攻撃を受け流すのは得意だから芥子以上に動き回って……それで回復が間に合わずに二連発で芭蕉嵐を受けた時は、流石に命の危機を感じたよ。背中に大きな木片刺さってたしね」
「うん……それは危機を感じるだろうねー、聞いているだけで痛いよ」


伽羅はついつい、彼の傷がある辺りを見た。自分も今までの討伐で様々な傷を負ったが、そこまでの怪我をしたことはない。
弟妹が傷つきながら戦っている最中に己は家にいた事実に、伽羅はどうしようもないこととは言え、歯痒い気持ちになる。


「痛いし刺さってる木片が重いしで、戦闘中なのに膝を着いちゃって。芥子と梔子兄さんが回復してくれなかったら、正直三度目の芭蕉嵐で死んでた自信があるよ」
「恒春を回復してくれてありがとう二人共……」


宙に向かって祈るように手を組み、家の何処かに居るであろう二人に伽羅は感謝を述べた。

そんな様子の伽羅のせいで手持ち無沙汰になったのか、恒春は放置してあった楽譜を手に取りぱらぱらと捲り、指先で音符をなぞり出す。


「三度目の芭蕉嵐を受けて、オレだけじゃなくて芥子も膝を着いた。
……その時さ、梔子兄さんがどうしたと思う?」
「え? ええっと……」


質問されるとは思ってもいなかったせいで、咄嗟の出来事に伽羅は言葉に詰まった。
すると恒春は言いたくて堪らなくなったのか、こちらの返事を待たずして答え出す。


「あの馬鹿兄さん、“ 直ぐに回復する!”って走り寄ろうとしたんだよ。
ほんっと馬鹿だよね、兄さんまでやられたらお終いなのに!」
「あー……なるほどねえ」


恐らく梔子は、目の前で傷だらけになった妹と弟に居ても立ってもいられなくなったのだろう。その場にいたら、自分もその選択をした可能性は高いと伽羅は自己分析をした。
しかし、恒春はその選択は気に食わなかった様で。その時の梔子を思い出してかぷんぷんとし出した。


「ふざけないで来るな馬鹿!! って言ったら、山茶花も同じ気持ちだったのか止めてくれて。それもあって兄さんは止まってくれたんだ。そうしている間に芥子が一撃をいれてくれて……それで倒せた。
確かにオレも芥子もぼろぼろだったけどさ、相手もかなり弱っていたんだよ? だからこっちを気にせずに攻撃してくれて良かったのに……伽羅姉さんもそう思わない?」
「うーん、そうだなあ……」


恒春の言い分は理解できる。が、伽羅はどちらかと言うと、想像でしかないが梔子の気持ちの方が共感出来た。同じ弟妹を持つ上の兄弟だからだろうか。

ちょっとした事情聴取は終了した。
芥子の話しと、今の恒春の話しを聞いて導き出した考察からすると、恐らく、恒春は怪我をして血が沢山出てせいで興奮状態だったのでは無いだろうか?
高ぶっていたからこそ、高揚して笑っていたではないでは。それ故に攻めずに自分達を案じた兄にも憤慨して怒鳴ったのではないか……と。


「恒春の気持ちも分かるけど、梔子の気持ちも分かるなあ。多分梔子はさ、あんた達が大怪我を負って心配で堪らなかったんだと思うよ?」
「………そうかも知れないけど、絶好の機会だったんだよ? あと一撃だったんだし……」


宥める様に言う伽羅に、恒春は不貞腐れたのか口を尖らせる。
その表情に、こういうところが恒春は可愛いなと、微笑ましくて伽羅は口元に笑みを浮かばせた。


「まあまあ、もう天女との戦いは終わったんだからさ。梔子のことを怒らないであげて?」
「そうだけどさ……」
「それにずーっと怒っていたら、怒るのを止めるタイミングが難しくなるよ?」


ほら、笑顔のがいいよと、無理やり恒春の頬を指で持ち上げる。恒春は持っていた楽譜を置いて、嫌そうに伽羅の手を掴んで離した。


「ウザいからそういうのやめてってば、もう……。   
……別に凄く怒っている訳でも無いし、分かったよ」
「うん、ならいいや! 心配してくれる人間って貴重なんだから、大切にするんだよー?」
「はいはい、分かったよ」


おざなりにだが、きちんと返事をしてくれたことに満足して、伽羅は笑顔で相槌を打った。


「オレの天女との戦いでの主観はこれくらいかな。何時も通りを意識して戦って大怪我もしたけど、天女だろうが親玉であろうが、敵としか思わなかったよ」
「そっかそっか。教えてくれてありがとうね、恒春」
「それくらい何てことないよ、どう致しまして

……それで、他にも聞きたいことはあるの?」
「うーんそうだね……」


(……結局のところ芥子の考えすぎで、大怪我によるハイテンション、てことで良かったのかな?)


本人からきちんと確認を取れた訳では無い。だからこそ、どうやって更に聞き出せばいいのだろうか。
そう頭を働かせていると、用件が終わったからだろう。恒春は三味線を再び弾きながら、その言葉をぽつりと、小さく零れ落とした。


「……ねえ、姉さんは戦うのは楽しい?」
「え?」


べん、べべんと響く音に紛れながらも、隣にいる伽羅には、しっかりとその言葉は聞こえた。
こちらを見ずに、恒春はさっきまでの年相応の表情を消して、ただじっと三味線と向き合っている。
だがその声色には、何故だか必死さが滲み出ているように伽羅には感じた。


「ねえ、姉さんはどうなの?」
「あたしは……」


漠然とだが、間違えた問いをしたら、もう二度と恒春がこの答えてくれることはないだろう。そう伽羅は思った。その為に慎重に、言葉を選んで問いへの答えを返す。


「あたしは、あるよ。薙刀で大勢の鬼を一掃したり、一撃で倒せたりしたら、楽しくなることがあるな」
「そう……」
「うん」


恒春は、三味線だけを見つめている。
部屋に、彼の弾く音だけが鳴り響き、開け放たれた襖から外へと音が飛んで行く。伽羅は静かに、答えが返ってくるのを待った。
べべん、べべんと弾いている曲が終わりに差し掛かった頃、音の隙間から小さく紛れるような声で、恒春は話し出した。


「オレ、今までは戦うことはこの家に生まれた者の義務だと思ってたんだ。
そこに楽しいとか嫌だとかの感情はなくて、ただたんに義務だからって淡々とやってたんだ。生きるために人は呼吸をするでしょ? それと同じだったんだよ」
「でもね、違ったんだ。何時も通りに、何時もと違う、今までよりも強い鬼と戦ってたら……死にかけて。体が痛くて、重くて、苦しくて、……呼吸の仕方が分からない位の、痛みを知って。真っ赤な血が身体から流れて、遠くから皆がオレを心配する声がして、天女の笑い声がして……」


いつの間にか、恒春は演奏をする手を止めていた。ゆっくりとその顔をあげて、伽羅と視線を合わせてきた。
少し前まで音で溢れていた部屋を、静音が支配する。庭先から聞こえてくる鳥の鳴き声が、何故だがいつもより大きく聞こえる。


「普通、人は大怪我を負ったり、死が近くなることがあったら、恐怖を覚える筈でしょ?」
「けど、オレ、楽しくなったんだよ。あ、オレまだ生きてるんだって思ったら、痛くて堪らないけど、オレは生きているんだって思ったら、……た、楽しくて。嬉しく、なって」


持っていた楽器から手を離し、胸元をぎゅっと掴む。声は震えだして小さくなり、徐々に、少しずつ、恒春は泣きそうにくしゃりと顔を歪めた。


「ねえ、オレ、可笑しいの?」


その言葉と同時に、耐えきれなくなったのか、堰き止め切れなくなった涙が恒春の目から零れ落ちた。
落ちるのとほぼ一緒に、黙って聞いていられなくなった伽羅は強く、ただ安心して欲しくて、力強く泣いている弟を抱きしめた。
戦いが終わってからずっと考えていたのだろう。一人で抱えきれなくなって、それで偶然、当時の話を聞いてきた自分に零したのかもしれない。


「そんなことない。そんなこと、絶対に無いよ。あたしが宣言する、恒春は可笑しくない」
「だって、普通さ、思わな、…っでしょ? 死にかけて、楽し、とかさあ……!」
「可笑しいなんて思わない。少なくとも、あたしや家族達は絶対に言わないよ」


(なるほどね、こういうことだったんだ……)


自分の肩口に頭を寄せて泣いている恒春に腕を回しながら、知り得た真実を伽羅は噛み砕く。自分が持っていた知識や考察と、今の話しをすり合わせていく。
そこから吐き出された結果から分かる事、それは。


(恒春は多分、精神面は神よりも人間の血が強いんだ)


父である愛染院明丸の元に居た幼き頃。父は人付き合いならぬ神付き合いが良い神だったらしく、様々な神達が混ざりモノの伽羅が珍しいからか、自分を見に来ることがあった。
その中には戦の神、火の神、水の神と……それは様々な神がやって来ては己に話しかけてくれた。
彼等はそれぞれ独特の価値観を持っていた。戦こそが至上のものと言う神もいれば、愛情が全てだと言う神も居た。水こそがこの世で一番大切なものだと言う神もいれば、金が最もだと言う神なども居て……他にも、千差万別な神々が天界にはひしめき合っていた。

どの神にも共通して言えたこと。それは人間の血が混じっている伽羅には、あまり理解し難い感覚を持っているということだった。
恐らくは、その考え方を含めて彼等は神と言う、人間とは違うモノだと言うことなのだろう。漠然とだが、当時の伽羅はそう解釈づけた。

恒春は肉体的な、例えば筋力や体力等は伽羅よりも遥かに優れている。今は戦い続けて鍛えた機転や技術で対等でいれているが、いずれ追い越されるだろう。
だがどうやら精神的なモノ、考え方や価値観等は、恒春のが人間らしい様だ。


「あたし達は神の血を引いているからさ。
世間一般の普通に当てはまらないことは、確かにあると思うよ」
「ッッだったら!!」
「でもね、よく聞いて」


無理やり恒春の言葉を遮って、抱きしめていたその体から腕を離し、顔を突き合わせる。


「もし世の中の誰かがあんたを可笑しいって言ったら、あたし達はそいつ許さないよ。
……もしかして、もう誰かに言われた?」
「ううん、まだ、言われてない……ッ、オレが思った、」
「もし、今後言う奴が居たら教えて?
あたしが無理なら、梔子でも芥子でも山茶花でも樒でも良い。家族に絶対に伝えて。そんな奴、ボッコボコにしてやるから! 元が分からなくなる程の伽羅パンチを喰らわせてやる!」
「……っはは、なに、それ。
伽羅パンチって、つまらない、よ?」


シャドーボクシング込みで力強く言いきる伽羅が可笑しかったのか、恒春は泣きながらも、ぎこちなく笑ってみせた。
自分に心配を掛けたくなくて、無理しているのかも知れない。だが、それでも笑う力がある彼に、伽羅は少なからず安堵した。


「言っておくけど! 恒春もだからね?」
「ず……っ、は? なんで?」


伸ばした人差し指を突きつけると、恒春は泣いて抱き着いていたのが恥ずかしくなってきたのだろう。顔を赤くしながら鼻をすすって、不思議そうに首を傾げた。


「恒春に酷いことを言うのなら、恒春であっても姉さんは許しません」
「何、それ……訳、わかんない」
「自己嫌悪はちょっとするくらいで良いんだよ、やり過ぎは体に毒だから。
それとも恒春は、あたしや皆が普通の家族だって思っていることよりも、この世の全ての人に認められないと嫌?」
「…………兄さん達が、なんて言うかなんて、分からないじゃん」
「じゃあ聞くけど、梔子達が、恒春は普通じゃないって言う人間だと思ってるの?」
「………ううん、」


小さな声だが、確かにその言葉は届いた。
満足気に頷いて、もう大丈夫だろうと思い、伽羅は少々わざとらしく茶化した。


「でしょ? 恒春の家族は、例え恒春が戦闘狂やバーサーカーになったとしても蔑んだりしないよ」
「そんなのになる気はないから……」
「あはは、ごめんね。
ねえ、また不安になったらあたしに言って? 全力で否定するよ」
「別にしなくていいよ、……でも、ありがと」
「うん、どういたしまして!」


伽羅が大袈裟に再度抱きしめようとすると、もう良いと腕で押して避けられた。
恒春はあまりベタベタとしたスキンシップは好いていない。今ならいけるかもしれない等と、調子に乗ろうとするもきっぱりと断られて、伽羅は思わず肩を落とした。


「それはもういいから」
「えー残念」
「オレが引っ付いたりするのはあまり好きじゃないってこと、忘れたの?」


泣いたせいで赤くなった目で、恒春はじろりと睨む。これ以上しつこくすると、涙腺が緩くなっている今の彼だと嫌過ぎて泣くかも知れない。
そう思った伽羅は、自分はもう何もしないことを表す為に、両手足を大きく投げ出してその場に横になった。畳に近くなったからか、い草の良い香りが鼻をくすぐる。


「このとーり! もうしないよ」
「ふっ、何そのポーズ。降参のつもりなの?」
「そうだよ、あたしはもう無力で無害な人間だーって表現してるの」
「……ふ、は、ははっ!
伽羅姉さんが無力で無害とか有り得ないから!ていうか、足元。着物肌蹴てるよ?
芥子に見つかる前に整えておきなよね」


何やらツボに入ったらしい恒春は、今度は腹を抱えて笑い出した。
ころころ泣いたり笑ったりと、若者は感情変化が早くてついていけない。
まだまだ自分は若い人には負けない気持ちでいるが、目の前で新鮮で生き生きとしている様を見せつけられ、伽羅は直射日光でも浴びた気持ちになった。

負けそうで見ていられず、そんなに面白いだろうかと頭を起こして自身を見てみると、投げ出す勢いが強すぎたせいで足首が大きく露出していた。おまけに衽(おくみ)はグチャグチャだ。
確かにこれは、普段から身だしなみをきちんと整えている芥子がみたら大目玉だろう。伽羅は直ぐに起き上がって着物を綺麗に整えると、念の為に辺りを見回した。
我が家のしっかり者は、お説教が長いことに定評があるからだ。見つかったら恐ろしい。


(あれ……?)


自分が入って来る時にきちんと閉めていた筈の襖が、僅かばかりだが開いている。
目を凝らして良く見てみると、その隙間から、なじみ深い赤と青が揺れ動いているのが見えた。
襖を凝視する姉を不思議に思ったのか、恒春は首を傾げて同じ方向を見やった。


「姉さん? どうしたの」
「あ、ううん! 何でもないよ。
それよりもどう? 綺麗になった?」
「うん、いいんじゃないの?」
「良かった。次からはもう少し大人しく畳にダイブしよう」
「またする予定があるっていうの??」
「あはははっ、さあどうだろうねー」


胡乱げな視線を送る恒春に、明後日の方向を見ながら適当に言葉を返す。
そんなことよりもまた三味線を弾いて欲しいと恒春にお願いしてみると、掘り返すのも断るのも面倒だったのだろう。“ 別にいいけどさ ”と、不詳不詳ながらさっき弾いていた曲を再度最初から演奏してくれた。
伽羅はその音色を堪能しながら、そっと首を動かして、気づかれないように襖を見る。


(あれ、いない……。さっき、確かに居た筈なのに)


あの赤色と青色は、間違いなく梔子と山茶花だった。ほんの少しだが、梔子のイヤリングらしきものも見えていたから、ほぼ間違いないだろう。
もし見ていたのだとしたら、あの二人は何処からみていたのだろうか。

そのことについて考える前に、伽羅はゆっくりと違和感を抱かせない様に緩慢な動作で、演奏している恒春へと視線を戻す。


(良かった、気付いてない)

誰か覗いていたことに、この意地っ張りなところがある弟が気が付いたら。
きっと恒春は火が噴く位に顔を赤くして怒ったことだろう。伽羅は気付かれてないことにほっとして、一息をついた。

梔子達はいつからあの場に居たのか。自分が恒春に笑われていたような、本当に少し前からいてくれていたのなら良い。
だがもし、それよりも前に居たのならば……。少しだけ、口裏合わせをしないといけないかもしれない。
どうせこの後二人を尋ねる予定だったのだ。
その時に聞いて、どうするかを考えよう。

伽羅はそこで思考を打ち切り、今は自分のお願いを聞いて演奏してくれている恒春の三味線に集中する。
自分のお願いで演奏してくれている、可愛い弟の三味線の音色に耳を傾けた。






「────はい、これで終わり。満足だった?」
「すっっっごく満足! 本当に恒春は凄いね! 綺麗だった!」
「……あっそ。
毎回思うけどさ、感想大袈裟じゃない?」
「何も弾けないあたしからしたら、凄く素敵に弾ける恒春はほんとーーーに!
天才に見えるんだよ? だから大袈裟じゃありませんー」
「何、それ。ほんと大袈裟だから」


照れてしまったのか、恒春は顔を赤くしてそっぽを向いた。
そんな弟が愛らしくて、まだまだ喋りたい気持ちでいっぱいになる。
しかし、出来るだけ早く二人と話しを合わせたい伽羅は、名残り惜しく思いながらも立ち上がった。


「そんなことないと思うんだけどねー。それじゃ、まだ他の人に聞きまわり切れてないから、あたしはもう行くね。演奏ありがとう」
「わかった。あ、でも待って伽羅姉さん」
「ん? なに?」


着物の裾を気まずそうに引く姿に、何故そんな顔をしているか分からなくて、伽羅は不思議に思った。
持っている三味線の上棹をぎゅっと握り、俯きがちにぼそぼそと恒春は呟く。


「……あのさ」
「うん、どうしたの?」
「オレが泣いたことと、その一部始終はさ、誰にも言わないでよね」
「……」
「ッちょっと、返事は?」


答えない伽羅にじれったくなったのか、恒春は急かすように再度問い掛けた。
なせ答えに詰まったのかと言うと、この恒春の悩みを自分一人だけで抱えても良いものなのか判断し難かったからだ。
からして、自分はあと数か月もせずに死ぬ。そうなった後、誰が弟に寄り添ってくれるのだろうか。様子に気付いていた芥子か、それとも梔子か山茶花か、もしくは樒か……。

恐らくこれからも、恒春は悩む時が来るだろう。まだ最奥まで到達出来ていない迷宮が幾つもある、朱点童子も倒せてやいない。
今まで以上の強敵を前にして、彼が戦いに楽しみを見出す可能性は……きっと、来る。


(……取り敢えず恒春に返事をして、梔子達の真相を聞いて、芥子にそれとなく見守る様に言っておけば良いかな。
梔子達は真相次第ってことで)


返事をしないせいで徐々に機嫌が降下してきたのか、顔に‘ 何で答えないの ’と書いてある恒春を見て、伽羅は慌てて答えを口にした。


「あ、ごめんね! 資料をちゃんと片付けたか心配になっちゃって……ちょっと考え込んじゃった。ほら、片付けないと芥子に怒られるでしょ…?
恒春のことは勿論誰にも言わないよ、だから安心して?」
「……あっそ。普段から片付けきちんとしていなよね。
言わないならいいよ」


わざとらし過ぎたのか、じと目に成りながらも恒春は何も聞かないでに手を離してくれた。そんな彼の態度に感謝を覚えつつ、伽羅は別れを告げて広間から出て行く。


「うん、それじゃあまた後で。お昼ご飯になったら呼ぶね」
「ん、わかった」


襖を閉めて、その場から離れていく。
自分が居なくなったからか、遠くなった恒春の居た広間から、三味線の音がまた聞こえてきた。
伽羅はその音に背を向けて、梔子と山茶花を探す為に足を進める。


(まだ一緒に居てくれたらいいんだけどな……そうしたら話が早く済むし……)


まず、二人が自室に居るか確認してみよう。
そう決めた伽羅は、迷いなく内廊下を歩いていく。すると廊下の奥から、まるで己を待ちわびていたかの如く、その火色の赤は現れた。


「よっ、話しがあるんだろう?」








『────恒春はさ、多分、誰よりも繊細なんだよね。だからあたし達が気付けない様なことにまで幅広く目がいくけど、誰よりも見えて聞こえるからこそ、拘るところがある。
街の人間と比べて力の差があるかとか、考え方が違うとか、あたしは全然気にしたこと無かったな。
え、それはあたしがガサツだからって?
……そんなこと言う人には、もうお菓子あげてやらないよ。それは嫌でしょ?
うんうん、ならよろしい。
気難しいところもある子だけど、優しくて誰かを思いやれる子なんだよね、あの子は。
……あたしは先代の人間全員を見たからこそ気付いたことだけど、あの人達は役割に拘っているところがあった。
あたしの母は当主という役割に、梔子の母は当主の支えという役割に。恒春のお父さんは……一族の敵を穿つ矛であることに。
その影響か、恒春は戦うことがこの家で生きる上の義務だと思ってる。そういうモノだって。だからこそ拗れたのかまでは、流石に分からないんだけどね。
……あんたは、あんた達は、役割なんて考えないで。自分の思うが儘に生きて。それがあたしの願いかな』


寂しそうに、こいねがうように、彼女は目を伏せた。どうして先々代だ役割に固執したのか、それは今を生きる自分達には分からない。
ただなんとなく目の前に居るこの人も、その役割という言葉の影響を、少なからず受けているんじゃないか。そう、思えた。