百鬼一族 血脈の書

百鬼一族 血脈の書

当サイトは俺の屍を越えてゆけ リメイクのプレイ日記となります。

子狐の世界

────幼い僕の拙い記憶。僕が初めて綺麗だと思ったものは、視界全てを埋めてしまいそうな程に広がった、たわわに実った黄金色の稲穂だった。

 

 

「んん、芹だから……せっちゃん?  セリー?

どっちがいい?」

「セリー、がいいかな。

ちゃん付けだと、樒様とかぶってしまうだろう?」

「確かに….! じゃあセリーって呼ぶね!

私のことは好きに呼んで?」


花笑みとは、この様な笑顔のことを言うのだろう。隣を並び歩く澄の笑顔を見上げて、芹は一人でに納得を覚える。

そう連想してしまうのは、彼女が花をその身に持っているから、と言うのも理由としてあるのかも知れない。


「それなら……ううん、そうだなあ。澄ちゃん、とよんでもいいかな?」

「もちろんいいよ!

って、あ、行き過ぎちゃうとこだった! 

えっとね、あっちにあるのがよく行く防具屋さんと武器屋さんで、防具屋さんの隣にあるのがお茶屋さん。

あそこのみたらし団子はね、すっごく美味しいんだよ。百鬼家ごよーたしのお店なんだって」


お喋りに夢中になっていたことを恥じたのか、澄は照れた顔で教えてくれた。

地上に来てまだ数時間。名前や職業決め、家の案内等の大事なことが終わって手持ち無沙汰になった今現在。芹達は澄の提案によって京の都を案内して貰っている。


どうやら芹の次に幼い彼女は、初めて出来た自分より幼い家族に何かしてあげたくて堪らないらしい。

沢山歩いて疲れていないか、喉は渇いていないかと、芹にこまめに尋ねるその様子はとても愛らしい。自分達を見る大体の通行人達も、微笑ましそうに自分達を見ている。……大体は、だが。


(うらみちの二人、そこの雑貨やに一人、……たちばなししているあの三人も、だね。子供をみまもる視線とは言いにくくて、とてもわかりやすい。街中は人がおおいぶん、そういう人もおおいのか)


澄の案内を聞きながら、自分達に忌諱な目を向ける人間達を頭に入れる。誰がそんな風に見ているか知っている方が、今後地上で生きる上で便利だと芹は判断したからだ。


彼等は、芹達の額の玉に視線を向けていることが多い気がする。

一族のことを天界で父から聞いていたおかげで、そんな目を向ける気持ちは分からなくはない。呪われた存在が近くにいたら、一つや二つ思うことはあるだろう。が、それでも向けられる側としては良い気はしないものだ。

頑張って教えてくれている澄に気付かれない様、芹は小さな声でそんな人々に対して悪態をついた。


「わずわらしいなあ……」

「ん?  セリーなんか言った?」

「ううん、何も言っていないよ」

「そう….?」


不思議そうに小首を傾げる澄に、芹は何でもないと首を振って笑う。それにしてもこの二ヶ月年上の家族は、ずっとあの視線を向けられていると言うのにとても平然としている。慣れているのか、それとも鈍いのか。まだ澄と出会って一日も経っていない芹には、そこを見分けることは出来ない。

取り敢えず追求されても困るので、芹は地味に気にしていたことを口にして話題を変えることにした。


途中、“芹達は澄の提案で”と言っていたことを覚えているだろうか。ずっと二人で喋っているせいで芹も忘れそうになっていたが、本当はあと二人、一緒に都に来ている者達が居る。


「それより、樒様たちとけっこうはなれたから少しまっていようよ」

「え?  ほんとだ、いつの間に……おーいしーちゃーん!  山茶花ねーさーん! はやくー!」


後方で小人に見える程遠く離れていた樒達に、澄は大きく手を振って合図した。芹もそれに倣い、小さく手を振って彼らを呼び寄せる。

目立つ髪色なおかげなのか二人は芹達を見失ってはいなかったらしく、足早に合流して四人は顔を突き合わせる。


実は澄だけでは無く、樒と山茶花の二人とも一緒だったのだ。

最初は芹達だけで都に行こうと支度をしていると、幼い自分達だけで出掛けることを不安に思った母達によって、お目付役として樒達と一緒に行く様にと言われたのである。

樒と山茶花が選ばれた理由は、年が近い方が来たばかりの芹が話しやすいと考えてのことだろう。芹はそう睨んでいる。


樒達は最初、芹達の後ろをちゃんと付いて歩いていた。しかしまだ二人より小さい芹と澄は人混みを抜けやすかったらしく、徐々に二人と離れてしまったのだ。


「気付いてくれて良かったあ……このまま見失ってしまのかなって思ってたの。

澄ちゃんも芹ちゃんも、先にどんどん進んだらダメだよ?」

「はーい、ごめんなさい姉さん」

「ごめん。次からは気をつけるよ」


歩く人の邪魔にならない様に端に寄りながら、心配そうに言う山茶花に芹達は素直に反省を見せる。そんな二人に対して、今度からは気を付けようねと山茶花は優しく頭を撫でた。


和気あいあいとした雰囲気で次は何処を案内するかと言う会話に参加しつつ、芹はちらりと、話しの渦中に入っていない人物を眺める。

人並みに呑まれまた芹達が離れない様にする為なのか、樒は壁際で喋る芹達三人よりも少し道側に立って周囲を眺めていた。一応会話は聞いているのか、山茶花達に喋りかけられたら短くだが言葉を返している。


(地上にきて一日目だからしかたないけど、もっとかれと話をしてみたいな……。

かれは、僕たちのしゅだ。父上にとっての豊穣のように、尊ぶにあたいするそんざいなのか、知るひつようがある)


地上に降りてからずっと、芹は一貫して樒を敬う立場を取っている。

最初は何故敬語なのかと周りに首を傾げられ、そんな態度をしなくて良いと言う者もいた。だがされている樒が気にしていないのと、したいなら好きにすれば良いんじゃないかと言う意見も多かった故に、最終的に誰も口を出さなくなったのだ。

母はずっと複雑そうな視線を送っていたが、この口調を改める気は今のところ無いので、申し訳無いが流すことにした。


視線を向け過ぎていたのだろうか、そっと様子を観察していたら樒が振り返り、自分達の方へと歩み寄る。芹は誤魔化す様に目を細めて笑い、どうしたのかと訊ねる。


「樒様、どうかなさいましたか?  僕になにかごようでも?」


幼いせいで上手く敬語を操れない己の舌を癪に感じていると、樒が芹の手を取って更に端に寄せた。喋っていた澄達も樒の行動に気が付いた様で、首を傾げて繋がれた二人の手を眺めてから樒に視線を送る。


「わあ、樒ちゃんがお兄ちゃんしてる。ふふ、何だか嬉しくなっちゃうなあ」

「どしたのしーちゃん、セリーと手を繋いで。山茶花姉さんの言うとおり、お兄ちゃんしたくなったの?」


微笑ましそうにからかう様に笑う山茶花と澄に、樒は首を振り空いている手で後ろを指差した。


「いいから耳を澄まして後ろを見ろ、向こうにある茶屋で諍いが起きている。

巻き込まれないよう、念の為に離れるぞ」


一斉に樒が指差した方向を見る。だがしかし、芹はまだ背が足りなかったせいで周りを歩く人間に遮ら、見ることは叶わなかった。澄も同じく見えていないのか、つま先立ちになったり跳んだりしている。代わりに耳を澄ましてみたが、この辺りは特に店が多い区間のせいで元から喧騒も大きく、どれが諍いの声かは分からなかった。

三人の中で唯一山茶花だけは見えたらしく、少しだけ眉を顰めてからそっと澄の手を握った。見上げてきた澄を安心させる為なのか、山茶花は優しく笑いかけて茶屋とは反対の方向へと体を向ける。


「また離れたら私が不安だから、澄ちゃんは私と手を繋いでちょうだい?

芹ちゃんは樒ちゃんが何処にも行かないように、ちゃんと握ってあげてね」

「わかったよ姉上、まかせて」

「ね、しーちゃん。茶屋っていつものお茶屋さん? おじさん達大丈夫かな……」

「……取り敢えず、茶屋から距離を取るぞ。

いい….」


樒のその言葉を遮る様に、がしゃん、と何かが割れる音と共に足元へ欠けた皿が転がってきた。落ちたのはこの皿なのだろうかなんて、思わず目で追ってしまう。

突如響いた音のせいで静かになり止まった人波のおかげか、今度ははっきりとした怒声が芹の耳にも入った。


「もう一度言ってみろよゴラァ‼︎‼︎  お前今なんつった、ああ゛⁉︎」

「ああ言ってやるさもう一度聞てェならなア‼︎」

「お、お客さん落ち着いて……!」


「この、〜〜〜〜ッ‼︎」

「〜〜〜〜〜‼︎‼︎」


最初は何と言っているか分かったが、罵声が酷過ぎて最早言葉とし理解不可能となってきた。頑張って宥めようとしている店員らしき人の声も微かに聞こえるが、男達の声によってその努力は悲しくもかき消されている。迷惑な客の対応に追われるとは大変なことだ、ご愁傷様としか言いようがない。

不運に陥っている茶屋に対し、芹は他人事ゆえに頑張ってくれと僅かな憐れみを投げる。可哀想だが、自分ではどうすることも出来ない。


一瞬の静寂の後、喧嘩という見世物に釣られた人間が続々と件の茶屋へと集って行く。巻き込まれたく無い自分達の様な人達も同じように動き出したせいで、小さな芹達はまんまと人混みに揉みくちゃにされ、あれよあれよと言う間にその場から流されてしまった。


「わ、っと。うう、人凄いちょっと楽し……ううん、セリー!  セリーは大丈夫? しーちゃんと手を離さないようにね!」

「樒様が手を引いてくれてるから何とか……。こっちは大丈夫だよ!」


幸いなことに、あらかじめ手を繋いでいたお陰で芹達が散り散りに離れることは無かった。年少二人の手を取っている樒達が上手く人波を躱し、付かず離れずの距離を保っているおかげで今のところはバラバラにならずに済んでいる。

だがしかし、それでも大勢の流れには逆らうことは出来ず、最初に留まっていた場所から徐々に芹達四人は動いていった。


面白そうだと喧嘩を見に行く者、子供を抱えて正反対の方向へと逃れようとする者、自分達と同じで流されてしまっている者……一人一人の顔を見てみると、その人間がどんな気持ちでいるのか見えてきてとても面白い。顔だけでなく、手足や体の動きを見ると更に分かるものがある。人間とは、こうも全てで意思を表す生き物なのか。


(むこうでは父上とじゅうしゃの狐たちしかいなかったからなあ。

書物やうえからみる人間のすがたと、実際のすがたじゃこうも違うのか。おもしろい)


ふと、己の手を引く樒を見やる。強制的に動き続けているせいで、彼の左耳にある耳飾りが忙しそうに揺れていた。その耳飾りとは正反対の色合いを身に宿すその人は、静かに周りの流れを読みながら、自分を庇う様に前に出て歩いている。

幼いながらも芹を人混みから守ろうとするその姿勢は、素直に好感を覚えた。まだそんなに樒を知らないが、この数時間見た限りからの評価だと、彼はそこそこ人並みの良識ある人間だと感じる。


周囲や樒を見ていると、斜め前で澄を庇って歩いている山茶花が困った様な声を上げた。


「うーん……樒ちゃん、気付いてる?」

「ああ。このままじゃ面倒なことになるな」

「やっぱり?  無理矢理この場を離れるとなると荒っぽくなるし……困ったなあ」

「ん? 姉さん達どうしたの?  きんきゅー事態?」

「そこまででは無いけど、ちょっとね」


困り笑いを浮かべる山茶花に、澄は不思議そうに頭に疑問符を浮かび上がらせる。

このままだと何がいけないのだろうか、澄と同じで芹も分からないでいた。

周囲を見回してみるも、特に変わったことは無い。辺り一面人だらけ。でも……


「……ああ、なるほどね」


転ばない様に注意しながらも人波に乗っていたら、気が付くと芹達は件の者共の罵声や怒鳴り声がはっきりと聞こえる位置まで来てしまったようだ。軽く人の合間を覗いて見たら、小汚い格好の男達が胸ぐらを掴みあい殴り合う姿が見える。

更に合間を縫って辺りをよく見てみると、手をさ迷わせ真っ青な顔をして彼らの傍に居る男と若い女が目に入った。似た顔立ちからして親子と思われる彼等は、前掛けをしている姿を見るに、あの店の者なのだろう。


「お前のせいで金が駄目になったんだろうが‼︎ 責任取りやがれ‼︎」

「あん時しくじったのはテメェだろふざけんじゃねぇよクソが‼︎‼︎」

「お願いですやめてください本当にやめてください……‼︎」


「いいぞーお前らー!」

「おいお前どっちが勝つと思う?」

「あーどっちにしようかねー」


罵り怒鳴り汚い喧嘩を繰り広げる男二人、何とか仲裁に入ろうとしている店主らしき父親、少し離れたところで怯えて見ている娘、そして一定の距離を取って好奇の目で、何なら囃し立てさえいる多くの野次馬達……。こういう場面を、阿鼻叫喚と呼ぶべきか。


自身は身動きが取れず、手を引いている樒もどう切り抜けようか考えているのか、山茶花と顔を近づけて何か喋っているせいで動く気配は無い。

ただ狭苦しい中で押し潰されることに飽きた芹は、品が無い行為だと自覚しながらも周りと同じ様に野次馬に興じることにした。暇なのだからしょうがない。どうやら己は少し飽き性なのかも知れない。いや、この場合は自由気ままと言うべきだろうか。

袖と袖、人と人の合間からどうにか顔を覗かせていると、何やら事態は良くない方へと進んでいる事が分かる。


「やめましょう、ね? 危ない….」

「ッあ゛あ゛~~~~~‼︎ だいたい、さっきからうっせェんだよジジィ‼︎」

「ぐ….っ‼︎」

「おとうさん‼︎!」


(ああ、可哀想に)


突如、喧嘩をしていた片方の男によって仲裁していた人物が吹き飛ばされた。やんわりと引き離そうと腕に触れた店主の腕を逆に掴み、壁へと投げたのだ。怒りのあまりかなり強い力が出ていたのか、そこそこ激しい音を立てて店主は床に蹲り、青い顔をして駆けつけた娘に抱き起こされている。

流石にそれはまずいと思ったのか、店主に手を出さなかった方の男が投げた男に向かって糾弾し出した。だが激昂状態の荒れている方は、悲しいことに全く止まる気配が無い。


流石に野次馬達も第三者が巻き込まれたのはどうかと思ったのか、店の人間は大丈夫なのか、自警団はまだかと言う声がちらほらと聞こえ出す。それでも囃し立てる人の声が大きく聞こえている辺り、今の京の民度はそこそこの様だ。


芹が一人周りを分析していると、小さく腕に振動を感じ取る。振り返ってみると、樒の着物の裾を澄が引いていた。そのせいで樒と手を繋いでいる芹にも振動が来たらしい。

彼女は不安と焦りが混じった顔で茶屋と樒の顔を交互に見ながら、野次を飛ばす周りに負けぬよう声を張り上げて言葉を伝えてきた。


「しーちゃんおじさんがっ! 助けにいっちゃダメ⁉︎ このままじゃお姉さんも危ないかも知れないから……っ!」

「澄ちゃん落ち着いて。 危ないだけから、ね? 行くのはダメだよ。一度落ち着いて」

「でもおじさん達が‼︎ 私ならあの人達をやっつけること出来るからっ」

「……」

「しーちゃん!」


“だから助けに行かせて‼︎”と、 今にも手を振り解いて渦中に行こうとする澄を山茶花が必死に宥めかして止めている。流石に勝手に行くのは良くないと思っているのか、この場で一番責任のある立場に居る樒に許可を得るため、必死になって言葉を連ねていた。

そんな妹に困っているの苛立っているのか、見上げた先にいる樒は一瞬だけ眉間に皺を寄せた。本当に一瞬だったせいで、樒の表情の変化に気が付いたのは恐らく自分だけかも知れない。

樒は一度目を伏せると、澄と真っ直ぐに視線を交わした。だが顔を合わせただけで、彼の口は固く閉ざされたままだ。もしや、何て答えを出せばいいのか迷っているのだろうか。


確かにただの子供じゃない自分達なら、ただの人間の大人等造作もなく鎮圧出来るだろう。

とは言ってもこの中で一番幼い芹には難しいと思うが、普通じゃない力を持って常に鍛錬をしている澄達なら、もしかしたらそこらの大人達よりも確実に場を鎮めることが出来るかも知れない。

しかしこれは、地上生活数時間しか経っていない芹の考えだ。実際のところどうなのかは、正直今の自分には分からない。


(樒様は、どうするのだろう)


幾ら知り合いだからと言って、わざわざ面倒事を跳ね除ける義理は無いと芹は思う。だとしても、義憤に駆られている澄を止めるのは容易では無いだろう。

京の民と平和を守る武人の家の立場として動くのなら、止めに行くかも知れない。

ただの人間の子供として動くのなら、澄の手を取ってこの場を離れるのかも知れない。

一族の進言を受けた当主としてなら……彼の場合、何て答えるのか。樒個人をまだ理解出来ていない芹には、検討が付かず分からない。


行く行かせてダメ落ち着いてと、少し大きく騒いでいたせいなのか周囲の注目の視線が少し流れて集まってきた。

あれはあの子供達は、この子達なら、どうにか出来るのではないか….と。


「ねえ、あそこに居るのって百鬼一族の….」

「本当だ。なあ、アイツらならどうにか出来るんじゃないか?」

「あの一族は強い奴しかいないって聞いたことがあるわ」

「おれ前に見たことあるぜ。あいつらが鬼をボッコボコにするところ」

「あの子達はまだ子供だけど、百鬼の子だ。きっと恐ろしい位強いに決まってるよ」

「名前の通り、百鬼のは百の鬼よりも強いって聞いたことがある。恐ろしい……」


一人、また一人と芹達へナニカを込めた視線を向ける。期待、信頼、畏怖、恐れ……様々な感情がない交ぜにされたモノだ。

芹がまだ人間という生き物になれていないからか、頭上から沢山の視線を向けられて咄嗟に後ずさりそうになる。だが、


「芹、大丈夫か」

「あ……うん。へいきです」

「そうか。ならいい」


周りからの目を遮る様に、樒は芹の前に立って顔を覗き込んだ。多分、彼なりに心配してくれたのかも知れない。

幾らマセていても、芹はまだまだ小さい。その気遣いは、正直今の自分にとって有り難かった。こんなに人間まみれになるのも、見られるのも、初めての自分にはとても疲れるものだから。


覗き込むのを止めた樒は芹の手を引き、自身の背中に芹の鼻が付いてしまいそうなくらい近くへと引き寄せる。周囲からは未だ絶えず喧嘩の声や自身達への声が聞こえているが、視界一面は彼の紺色の着物だけしか見えなくなった。

….背に守られているからか、少しだけ心が軽くなった気がする。


山茶花姉さん、しーちゃん….!」

「ちょっと目立ってきちゃったなあ……….。

…..ねえ樒ちゃん。これはもう、仕方無いんじゃないかな」


ヒソヒソと交わされる自分達への言葉のせいか、樒を挟んで聞こえてくる澄の声は心なしか弱まっている。さっきまで彼女を止めようとしていた山茶花の声も、どこか諦念が混じっている様に感じた。

樒は、我らの主は、どうするのだろう。


「っせェなあ゛゛‼︎  おい待ってろ、このジジィ黙らせたらテメェもぶっ潰してやるからよ‼︎」

「ひ……ッ!」

「おいお前其奴らは関係無いだろうが‼︎  関係無い奴巻きこもうとするとかなあ、だから頭足りないグズだっつってんだ分かんねえのかアァ⁉︎」

「んだとゴラァ‼︎」

「だ、誰か……だれか助けて….!」


向こうはかなり激化しているらしい。声しか聞こえず、茶屋と知り合いでも無い芹は、正直のとこ澄や見えている二人程の感慨が無い。そういう情緒は、今後の自分に期待したいところである。

自分で思うよりも芹は図太い質なのか、それとも順応が早いのか何なのか。さっきまで見られていることに気後れ気味だったのと言うに、だいぶ平常心に戻っていた。何となくだが、自分だけで平気になったのではなく、背に守られているのもあって平気になったような……そんな気がしている。


一人でに思考していると、ぽん、と軽く頭に何かが乗っかった。確認する為に見上げてみると、自分の頭を撫でていた樒と目が合う。そのまま二、三度軽く乗せるだけの撫で方をしている間も、彼の表情はぴくりとも動かない。芹は樒が何を考えてこうしているのか全く分からず、とたん困った顔になる。


「ええと、樒様….? いかがなさいました?」

「少しここを離れる。芹は山茶花達と一緒に居てくれ……山茶花、澄」

「はあい、こっちは任せて」

「! しーちゃん、それって……!」


それは何故頭を撫でているかの理由になっていないのでは。

芹がそう口にするよりも早く、樒は山茶花の元へと芹を押しやった。

山茶花が芹の空いている方の手を握ったの確認するや否や、樒は繋いでいた手を即座に離し、輝いた顔になった澄に一瞥を寄越してからするすると簡単に人波から消えて去っていく。


(もしかして止めに入るつもり……?)


それとも他に何か……いいや、状況的に確実にそうだ。だとすれば、こうして居る訳にはいかない。芹は己の心が逸り出すのを感じた。

自分は樒が主として相応しいかを見極めないといけないのだ。今から彼がどうやって仲裁するのかどう動くのか、それはきっと、見極める判断材料の一つとなりえるだろう。


樒が消えて行った方向を心配そうに見ている山茶花の手を引いて、芹は何としてでも傍へ行きたいと言う思いを伝える。姉上達だって気になるだろう、と。


「姉上、澄ちゃん」

「なあに芹ちゃん、どうしたのかな?」

「おねがい。僕はどうしても、樒様がみえるちかくまでいきたいんだ」

「芹ちゃんそれは….」

「もしまきこまれたら危ないことになるのはわかってるよ。

でも僕は、あの人がどんな人なのかしりたいんだ。

そのためにそばに行きたい、みさだめたいんだ」


人、人、人で溢れ押される中で何とか頭を下げて、自分が真剣な気持ちで発言していることを表す。自分はまだ弱い。もし巻き込まれでもしたら、簡単にやられてしまうかも知れない位に弱い。

残った自分達を取り纏めているのは山茶花だ。彼女から手を離して勝手に行くのは得策では無いだろう。それに小さい自分だけでは、行った所で人波に呑まれて別の場に流れてしまうが関の山だ。だからこそ、誠意をもって頭を下げた。

……だって主とは、芹にとってとても大事なモノだから。


(いまの僕に出来るせいいの示しかたはこれしかない。おねがい、姉上)


下げたままでいる芹の耳に、あの茶屋からの怒号が不自然に途切れたのを感じ取った。恐らく樒が何かしたからだろう。

ああ早く彼がどうするのかを、この目で耳でちゃんと知りたい。


「….姉さん、私も行きたい」

「澄ちゃん……」

「しーちゃんが強いのは知ってるよ。でも、強くてもやっぱり心配だから。山茶花姉さんも、本当は心配なんでしょ?」


「しゃしゃり出て何言ってんだこのクソガキが!! テメェに用はねーんだよ!!」

「~~~…」

「聞こえねぇよクソが!! あああああイライラするなあ!!」

「おいコイツ呪われた一族のヤツじゃ……」

「樒くん…!」


芹の肩を持つ澄の言葉と、再び聞こえてきた男共の発言に背を押されたのだろう。山茶花は小さな声で分かったと言うと、握っている二人の手への力を少しだけ強くする。


「いい? 絶対に私から離れないようにね」

「姉さん….! うん、絶対に離さないよ!」

「ありがとう姉上!」

「大丈夫なのはわかっているけど……それでも樒ちゃん一人行かせたのは心配だもの。だから気にしないで。

それじゃあ私の行く通りに歩いて。ね!」


言い切るのと同時に足を踏み出し、山茶花は人と人の細い隙間を縫い分けて前へ進む。芹達はまだ小さい自分の体を活かし、山茶花が通った場所に何とか飛び込んで後を追い掛けた。

ぎゅうぎゅうと押されながらも如何にかこうにか後に続いて行くと、ぱっと目の前が開けて圧迫感が消え失せる。


(気持ちすずしくなった気がする……樒様はどこだろう)


ふう、と一呼吸をついて前を見ると、茶屋の看板が目に入った。樒は何処だろうかと視線を動かすと、探さずとも直ぐに件の人物達と一塊になっている姿が目に移り込んだ。


樒は自分より一回りも二回りも体格の良い男の腕を捻り上げ、地面に膝を付けさせていた。相手は痛がりながらも汚い罵詈を述べているが、対する樒は今日初めて対面した時と変わらない表情だ。

少し離れた場所に、恐らく喧嘩していた片割れである男も居る。この男は冷静を取り戻したのか、抑えられている男と樒を見比べてどうするべきかと目を彷徨わせていた。少しだけ聞こえた自分達のことを知っていた方の人物は、恐らくこっちなのだろう。


「クソ離せこのっ、いだだやめろそれ以上捻んじゃねぇ‼︎」

「俺は何もしていない。お前が動くからだ」

「このガキふざけんじゃねいだだだだいっってぇ……っ‼︎」

「お、おい。ちょっとお前いい加減落ち着けって……」


状況を把握していると、自分達の存在に気が付いた男女がこちらに駆け寄って来る。前掛けをした小柄な中年の男性と、その男性によく似ている髪を一纏めにした少女の二人組。どうやら茶屋の主人と娘らしい。

二人はほっとした表情で、人混みから出て来た山茶花に話し掛けた。


山茶花ちゃん!!」

「おじさん! おねーさんも! 大丈夫?  怪我はありませんか?」

「あ、ああ。私達は何ともないよ」

「ええ。もう少しで殴られそうだったけど、樒君が助けてくれたから……」

「二人とも良かった〜〜!  ほんとに無事で良かった!」


山茶花達が店主と娘の無事な姿に安堵していると、芹の中で雑音として処理していた抑えられた男の呻き声が怒声へと変化した。

何事かと全員が声がした方を向くと、男が欠けて鋭くなった皿の破片を掴み、背後にいる樒の足に向かって振りかぶっていた。


「しーちゃんっ‼︎」

「っ……!」

「だいじょーぶ。二人共、大丈夫だよ」


悲鳴染みた声がその場一体に響く。皆んな最悪の結果を想像したことだろう。


自分だって声を上げそうになった、思わず固く手を握り込んだ。澄なんて即飛び出そうとした位だ。

だけど芹と澄の手を握っていた山茶花が、安心させる様に自分達を後ろから抱きしめたから。その落ち着いた声色と温もりの効果、だろうか。芹は固く握っていた手を解き、澄は足を止めてその場に留まった。


「樒ちゃんの顔を見て。いつも通りの顔をしているでしょう?  

大丈夫、樒ちゃんは油断もしていないし落ち着いているわ。大の男くらいへっちゃらだよ」

「そう、….だね」


樒は咄嗟に男から離れ、刺されることは無かった。距離を取った彼の顔には動揺も焦りも見えず、山茶花の言う通り、ずっと変わらぬ無表情のままだった。

抑えていた手が離れたことによって自由になった男は、まだ怒りが収まっていないのか怒りに満ちた顔で破片を片手に樒に飛びかかる。


「よくもやってくれたなこのクソガキがぁ‼︎‼︎」

「お前本当にいい加減にしろ‼︎  相手はガキだぞ‼︎」


自分よりも怒ったり悲しんだりする者が側に居ると逆に冷静になる理論だろう、さっきまで同レベルの喧嘩していた筈のもう一人の男は、樒を守る様に飛びかかってくる男の前へと立ちふさがる。


これがもし庇っているのが普通の子供だったのなら、このまま後ろに隠れていたことだろう。しかし、自分達は呪われた一族の子供だ。


「────問題無い、退いてくれ」

「おまえ、っおい‼︎」

「邪魔だテメッッっ─────────ぐ、うあァッ‼︎!?」


飛び蹴りを一つ、それはそれは見事な流れで樒は男の顔にめり込ませた。

己の前に立っている男の肩に手を置いて軸にし、勢いよく回り込みながら体を持ち上げて、目の前で下手で破片を持っている怒る男の顔に足の甲を叩き込む。


蹴りを直撃した男は破片を手放して地面に倒れ伏す。百点満点な着地まで済ませた樒はそのまま男へ近づき、近くに落ちていた皿の破片を遠くへ蹴り飛ばした。

一連の流れを見ていた野次馬達はさっきの悲鳴とは一転し、今度は面白い見世物を見れたことに興奮して一斉に高い歓声を上げ始める。びりびりと耳に響く程の周りの声に、芹は思わず耳を塞ぎたくなった。抱きしめたままでいる山茶花も吃驚したらしく、体が一瞬固まったのが触れ合っている感覚で伝わってきた。


「すっげぇ! 流石百鬼の!」

「ははは、坊主やるな!」

「いやー凄い光景だった!」

「あの子、自分よりデカいを蹴り飛ばすなんてやるねえ!」


歓声喝采賞賛の声。喧嘩が娯楽になる彼等にとって、少年が大人を倒すと言うまさかの展開は中々の見物だったのだろう。少なからず、目に見える範囲の野次馬達は酒を飲んだかの様に興奮しきっていた。

……だが得てして不快なモノというのは、己の中に入れたくないからこそ敏感に感じ取ってこれは見てはいけません聞いてはいけませんと主張してくる様だ。


「〜〜〜……」

「〜〜…」


はしゃいでいる大勢の声が大きいせいで、何と言っているかまでは分からない。しかし、この場を収めた樒を見る目が周りと違い過ぎるせいで嫌でも伝わってくるものがある。雄弁に語る有象無象共のその目が、実に忌々しい。


(せめてかくす努力をてしてくれ。とてもふかいだ。

樒様たちが気づいたらどうしてくれる….!)


芹はこの数時間でそこそこの家族愛に目覚めたらしい。樒達が気が付いてしまっていないかと心配になっていると、ぎゅ、と自分達を抱きしめたままだった山茶花が腕の力を強めたのを感じ取った。急にどうしたのだろうか、そう思っていると手を隣にいた澄に取られる。彼女も山茶花も、どこか芹を案じている様な面持ちでこちらを見ていた。


「セリー、大丈夫?」

「ごめんなさい芹ちゃん。あんな目で見られて嫌だよね。

来て早々、嫌な思いさせてごめんね」

「私からもごめんなさい。

……でも、でもね。あのね?  見ての通り、私達によくしてくれてる人もいるんだよ?

あんな人達ばっかりじゃないから」

「姉上、澄ちゃん….」


どうやら姉達は、芹が百鬼一族に否定的な感情を覚えている人間を見て悲しんでいると勘違いした様だ。正確には樒達が気がついたらと苛立っただけで、芹本人は全くこれっぽっちも傷ついていない。これくらいで悲しんだり嫌ったりする程、自分は繊細でも無いからだ。

それに寧ろ自分は……いや、やはり己は図太い性格なのではないだろうか。


「澄ちゃんも姉上もあんしんして。

いろんな人がいるってことを、僕はちゃんとわかってるよ。だから大丈夫」

「……ほんと?  無理して言ってないよね」

「ほんと、だよ。それと姉上。澄ちゃん」

「なあに芹ちゃん?」

「いいかげん恥ずかしいから、離れてくれるとうれしいのだけど……」


本心では抱きしめられている現在の状況を何とも思っていないが、これ以上彼女達の顔が曇るのは好まない。

照れた様な顔を作って見せると二人は芹を離し、微笑ましそうにごめんと謝った。そんな表面とは裏腹に、芹は内心で樒達が茶屋の者達を助けるのを渋った理由について考える。

けれども頭を捻れど、樒をよく知らない芹に答えを出すことは出来なかった。


(ううん……分からないものはしかたないや。あとで聞いてみよう。

人間にたいするしせいは知っておかないと。方向性のちがいでふわが起きたらいけないからね)


思考するのをそこで止めて、話題を変える為に使えそうなものは無いかと辺りを見回してみる。すると周りにいる人達が後ろを見てざわめいていることに気がついた。

自警団、と言う言葉が芹達の耳に入ってくる。やっと自警団が来てくれたらしい、重役出勤かと零したくなる。


「おい自警団来たぞー!」

「やっとか! おい百鬼の、自警団来てくれたってよ!」

「お前ら道を開けてやれ!  通れねえだろ!」


人と人の隙間から、同じ色合いの服を着た集団がこっちに向かっているのがちらりと見えた。恐らく彼等が自警団の者達なのだろう。

背伸びをして自警団を見ようとしていたら、急に手を引かれ思わずたたらを踏む。一体誰がと振り返ってみると、いつの間にか傍に来ていたらしい樒が居た。

自分の手を引いたのは彼の様だ。樒は茶屋の主人とのびている男に肩を貸す喧嘩をしていた片割れの男に向かって何か伝えていた。


「おじさん、悪いが後は任せる。関わったなら最後まで責任を取るべきだが….あまり騒ぎの中心になりたくない。また今度埋め合わせに来る」

「え、ああ。いいんだよ樒くん、騒ぎを収めてくれただけでも有り難いんだ。

それ以上は望まないよ」

「すまないおじさん、感謝する。……お前はそいつを逃がすなよ」

「お、おう……」


端的に話し終えると、樒は掴んでいた手を離して何故か芹を脇に抱え出す。いや何でだ。

……抱えられた方からすると突然されて不思議で堪らないし、腹に腕がかなり食い込むしで本当に意味が分からない。見上げてみても今度は山茶花と何か話していて、割り込む訳にもいかないから余計意味が分からない。

よくよく見たら、山茶花の腕の中には澄が抱えられていた。何故か抱えられているのか澄も分かっていないらしく、同じ様なことになっている芹と目を合わせお互いに目を白黒させた。


(セリー….私達どうして抱っこされてるの….?)

(さあ....僕にもわからないよ……)


声に出してはいないが、今自分と澄の気持ちはある意味一つになっている。だからなのか、目と目で何となく会話が出来た気がした。絶対に言葉が通じた気がする。


山茶花、澄は任せる」

「うん」

「ねえ二人とも、どうして私達抱っこされてる、の゛ぅぉ!?

い゛ったねえいま舌噛んだ! 舌噛んだ!!」


澄が疑問を口にするも華麗にスルー。樒と山茶花は突然走り出して茶屋の裏に回ったと思ったら、なんと地を蹴り宙を飛び屋根に降り立った。

事態についていけない芹は驚き固まってしまったが、自分の中の何処か冷静な部分がこんな時でも舌の心配を出来る澄は凄いな….と、現実逃避の如く尊敬の念を覚えているのを感じた。あと樒が屋根と屋根の間を跳び越える度に腹が圧迫されて痛い。


「あ、の! いま、どこにむかってっ、走っている、のです、か!」

「そ れ ! 姉さんもしーちゃんも何処に行くか位は教えてよー!」


揺れがくる度に言葉に詰まる自分とは違い、横に抱えられている澄はまだ楽な様だ。正直自分も横抱きして欲しかったが、今はそんなことよりも行き先を知りたい。何故二人は急にあの場を離れたのだろうか。


「うーん、何処かを目指して走ってはいないけど….強いて言うなら、人が少ない場所を目指してるかなあ。私達は良くも悪くも目立つから……」


樒に抱えられて前を走っているせいで、山茶花が今どんな顔をしているかは分からない。だがどうしてか、自分達のことを話す山茶花の言葉は悲しげに聞こえた。


幾つもの家屋の屋根を跳び越え降りては走り、ぐんぐんと騒ぎの気配から離れ、ついに芹達は家近くの川岸まで来ていた。川を挟み、まだ実感は薄いが己の家が見える。家を出たのはほんの数時間前なのに、濃い時間を過ごしたせいか随分と前に思えてしまう。


「ここまで来たらもう安心ね….澄ちゃんごめんね、急に抱えて走ったから驚いたでしょ?」

「ううん、最初は舌噛んだしびっくりしたけど正直楽しかったよ! 大丈夫!」


相当楽しかったのか、河原に降ろされた澄は顔を紅潮させて楽しそうに山茶花に感想を述べていた。その姿を見て、山茶花も楽しそうに笑い合う。

一方の芹はと言うと、


「はー….、は────……」

「芹、大丈夫か……?」


ぜえぜえと息を切らし、膝を付いて腹を擦っていた。

何度も中身が出るのではと思った、腹が抉れるんじゃないかと心配になった。振動も圧迫感も無いことに逆に違和感を覚えてしまいそうだ。

樒が悪意を持ってした訳では無いのは分かっている。だがそれでも、一言釘を刺さないと気が済まなかった。

背中を擦って入る樒と向き合い、芹はこれでもかと言うほどに気持ちを込めて口を開く。


「────樒様、よろしいでしょうか」

「もう大丈夫なのか?」

「いえ、大丈夫といえるまではまだ……。

それよりも樒様、おねがいがあります」

「何だ」

「もしまたかかえねばならない事態におちいっても、あのかかえ方はぜったいに、ぜっっったいにやめていただけませんか。……切にねがいます」

「しーちゃんが跳ぶ度にセリー苦しそうにしてたよね……。

あの抱え方は酷かった」

「うん……ちょっとあれは、ね……」


そうこんな事態になることは無いだろうが、必ず起きないとは言い切れない。二度とあの抱え方をされくないと言う気持ちが言葉に宿っていたのだろう。更に山茶花達の追撃も受けたからか、相手の目を真っ直ぐ見てくるタイプに見える樒がどこかぎこちなく、気まずそうに視線をずらした。


「……悪い」

「私も気付けなくてごめんね。

芹ちゃん、お腹赤くなったりスレたりしてない?」

「気にしないでください。

姉上も大丈夫だよ、安心して」


襟元を緩めて確認しなくとも、腹部に痛みも熱も感じない。恐らくその辺りは加減して慎重に抱えたのだろう。芹に言葉で安心したのか、山茶花は安堵した仕草をした。

それでも少し気まずげ見える樒に何ともないとアピールする為に、芹は軽く小走りして樒達の周りを回って見せた。


「ほら、もう走れますし。

僕はまだ若いから、かいふくりょくが高いのですよ」

「若いんじゃなくて、セリーは幼いじゃないの?」

「そうとも言うけど、それを言うなら澄ちゃんもだろう?」

「私はセリーよりはお姉さんですー」

「たったの二ヶ月さじゃないか」

「たったのじゃないよ、二ヶ月“も”だよ」

「僕たちにとっての二ヶ月はとてもおおきいと思うよ?」

「そんなことないもん」

「そんなことなくないよ」

「そんなことなくなくないですー!」

「そんなことなくなくなくないよ?」

「そんなことなくなくなくな……あれ、私何回言ったっけ?」

「ふっ……ふふふ、二人共可愛いなあ」


二人で軽口を叩き合っていると、それが可笑しかったのか山茶花が堪え切れなかったのか、着物の袖で口を隠して上品に笑い出した。軽く吹く秋風に袖と髪を靡かせながら優しくこちらを見る目は、慈しみの感情に溢れている様に思える。

彼女の隣で芹達を見守っている樒の瞳も、どこか柔らかく見えた。これは多分、気のせいでは無いだろう。


「澄ちゃん達は随分と仲良くなったのね、話してて楽しそうだわ」

「うん!  セリーと喋るの、すっごく楽しいよ!

ね、セリー!」

「そうだね……うん、僕もそう思うな」


半日も満たない時間で濃い体験をした気がするが、そのお陰で澄だけで無く山茶花も樒も、家で待っている家族達とも、上手くやっていけると思える自信を持てた様に感じる。


秋ももう終わり頃なせいか、日が沈むのが早い。地上から初めて見る夕日は芹達を茜色に染め上げ、柔らかな日差しが辺りを包んでいく。昼時とは打って変わったその景色に見とれていると、暗くなる前に帰ろうと、樒が声を掛けた。


「日が沈む、今日はもう帰るぞ」

「もっと見て回りたかったけど、暗くなるなら仕方ないね~….。

セリー、また今度改めて案内するからね」

「うん、その時は次こそお茶屋さんに行こう?」

「やったあ賛成! ね、セリーそうしよう?」


笑って提案してきた澄に、芹は笑顔で是と答える。我が家御用達というその味は是非とも自分も味わってみたいからだ。


芹の答えに満足した一同は帰るべく、河川舟運へと足を運びだす。まだ京が栄えていた頃は橋が架かっていたらしい。だが鬼によって一度荒れ果てた現在は壊れしまい、現在民が川を渡る時は舟に乗るのが一般的になっている。

昼に初めて舟に乗った際には、水面の上を渡るという体験に興奮してはしゃいだのは良い思い出だ。


(このまま何事もなくかえるのもいいかも知れない。

でもそのまえに。僕、今日のぎもんは今日のうちにかいしょうしたいタイプなんだよね)


視界に舟が見えて来たところで、芹は一人、足を止めた。横に四人連なって歩いていた筈なのに、一人足りなくなったことに気付いた彼等は一人、また一人とその場に立ち止まる。

どうしたのかと不思議そうに見つめてくる三種の瞳を見回して、芹はゆっくり口元を緩ませた。


「後はかえるだけなのに、止まってごめんね。幾つか、ぎもんがあるんだ」

「疑問? 何のことなのセリー?」

「それはね、……樒様、どうかお聞きしたいことがあります」

「ああ、何だ?」


芹から一番遠くにいた樒が、自分へと振り返る。動作のせいで揺れた彼の耳飾りは、日の光を受けても変わらない青緑の輝きを放っていた。首を傾げてこちらを見てくる澄達と違い、樒は耳飾りと同じでずっと変わらず、芹を真っ直ぐに見つめている。


「樒様はいちぞく以外の、たとえば街の人をどう思われますか?

あなたにとって……しゅにとって、人間はどういう存在なのでしょうか」

「……それは、芹にとって知りたいことなのか」

「はい。僕にはとても、とっても大事なもんだいです」


にこりと笑う芹に、樒は思考を巡らすためなのか、瞳を閉じた。

答えを待つ間、芹は自分がどうして人間に対する姿勢を重視しているのか再認識するために、過去に思いを巡らせる。

 


────産まれて数日も後のある日、父は言った。稲荷ノ狐次郎にとっての豊穣とは、使え司るモノであると。

ここ数百年、鬼が蔓延ったことにより神を信仰する人間は木端なボロネズミと化してしまった。神に祈る余裕も無く、神がどんなモノであるかもきちんと伝わらなくなった。

その結果、人間の信仰心によって成り立つ性質の神達は存在が朧になり、己が何であるか分からなくなってしまったそうな。


『昔、ウカノミタマって言う豊穣の神が居たんだよ。その神の眷属が狐だったんだ。

豊穣の力で人間の暮らしを豊かにする、人間はそれに感謝して信仰する。持ちつ持たれつの関係ってもんだな。

それで成り立ってたのに、鬼共のせいで信仰は薄れオマケに眷属の狐が豊穣神と思われるようになった。

ん? つまり俺は何かだって? 俺は元ウカノミタマの眷属をしてた狐達の集合体……みたいなモノだよ。かつては眷属だったのに今は神だ、狐生は何があるか分からないもんだなあ。

んん?  よく分からないだって?  曖昧で悪かったな。俺自身も鬼神と化してたりしたんだ、詳しいことはよく分からない。知りたければもっと位の高い奴等に聞いてこい』


父本人、いや本神もよく分からないらしい。ちなみにかつて使えていたウカノミタマという神様は、人間に忘れ去られたせいで小さく弱くなり、最後は混合された父と同化したそうだ。


『いいか芹。信仰が自身の存在確立に関わる俺みたいな神にとって、人間との縁は切っても切り話離すことは出来ないモノなんだよ。

人間の思いは馬鹿に出来ない力がある。例え目に見えなくても、確かにあるんだよ』


そう言って父は、芹を神域の一角へと連れて行った。戸を開け放ち覗いて見ると、そこには視界一面を占める程の金、金、金色黄金色。頭を垂れるたわわに実った稲穂達に、幼い芹は感嘆の声を上げることしか出来なかった。あの日の光景は、今でも覚えている。瞳を閉じれば瞼に簡単に浮かぶくらいに。

こんなに美しいモノがこの世にあるのかと、心が満たされる音を聞いたのはこれが初めてのことだった。


『わあ……! とってもきらきらしてて、ぴかぴかできれいだ。すごくきれい! すごい!』


息子のそんな反応に満足したらしい父は、気分良く稲穂と同じ黄金色の尻尾を揺らし、上機嫌に教えてくれた。


『この光景は人間が俺を信仰してるから、俺が豊穣の力を行使し出来て実現してる。凄いだろ?

ぶっちゃけ人間の力なんか必要しない高位の神もいるが….俺みたいな奴には必要だからな。

────地上で生きていくお前は、より鮮明に人間の力を体感するかも知れないし、しないかも知れない。

気分が乗ってるから親らしいこと言うがよ、芹達は人間だけど俺達の血が混じっている。

人間じゃない力を持っているモノだからこそ、ただの人間とどう付き合っていくかはきちんと考えておけよ。人間は未知の力を秘めているのに、未知を恐れる生き物だからな』

『……ぼくにできるかな』

『分からない時は当主って奴に聞けばいいんじゃないか?』

『とーしゅ?』

『芥子が教えてくれたが、お前達一族の一番前に立って引っ張って行く人間のことだとよ。一番偉い立場ってことだろうな、多分』

『とうしゅ……そっか……』

 


彼は、現在の一族の指針となる人間だ。となれば樒と自分は、父にとってかつて仕えた神もしくは豊穣、もしくは眷属の狐達にとっての父……その様な関係になるのだろう。

芹は今のところ、人間はそこまで嫌いじゃない。可能性を秘めた存在である人間を出来れば慈しみたいと考えているが、だからと言って個人的な感情を優先して所属する集団に亀裂を起こす気は無い。彼等とは一蓮托生なのだ、その中でも自分の命を預ける相手である主のお考えを知りたいと自然なことだ。


(だから今後のためにも、樒様のおかんがえは知っておきたいんだよね)


場の空気に耐えられなくなったのか飽きたのか、澄が山茶花を連れて川岸に座り込んだのが視界に映った。二人には申し訳ないが、樒の回答を聞けるまでは待っていて欲しい。


……一分、二分経ったか。視界に少しだけ入っている澄達が三回目の水切りを始めた頃、樒が静かに瞼を開いた。考えが纏まった様だ。


「樒様、もうよいのですか? 貴方がどう思っているのか、お聞かせねがえますか?」

「ああ」


樒の声が聞こえたからか、澄達が手を止めて自分と同じように彼を注目する。無意識なのか分からないが、樒は一度耳飾りを撫ぜてから彼にしては珍しい程に長く、自分の考えを語った。


「俺個人は、人間は守るべき存在だと思っている」

「どうしてそう考えているか、それは俺がそうしたいから……としか言いようがない」

「俺は、一人で出来ていない。人間である母と神である父から生まれ、生活は家族やイツ花に支えられ、生きるために必要な食糧や寝床は作って流通してくれる人達のおかげで得ることが出来ている」

「人間という生き物は、一人一人がすべきことをして支えてくれているから存在出来ている」

「そして、俺のすること。それは人間を守ることだと思っている」

「神に言われたから守ってるんじゃ無い。使命と力を持ち合わせているからそう思っている訳でも無い」

「先述した通り、俺は周りが居るから生きていけているのだと思っている。

……色んな人が居た。俺の為に、全てを整えてくれた人も居た。俺の我が儘の為に、危険を冒してまで叶えてくれる人も居た」

「俺は、そこまでしてくれた人達が誇れる人間でいたい。そう在りたい。

その為に出来る事、それは人並以上ある力を奮って鬼を薙ぎ払い、人も、……神も、守ることだと。そう結論を出した」

「……長々と語ってしまったが、答えになっているか?」


長く喋って口が疲れた、と顔を擦っている樒を見て、芹は心が安堵に包まれるのを感じていた。ああ、良かった。思った通り、彼は自分に合うの感性の持ち主だ。


喜色の感情が表に溢れ出ていたのか、澄がからかう様にコロコロと笑って話しかけた。


「セリーご機嫌なの? 顔がとっても嬉しそう。

しーちゃんの答えはそんなに良かった?」

「まあね。見てわかるくらいわらってた?」

「うん!」


太鼓判を押すかの如く力強く頷かれ、芹は思わず樒と同じ様に顔を擦った。すると自分と同じで山茶花に何か言われたらしい樒とばっちり目が合い、何故か可笑しくなってしまいまた笑みが零れた。


話しているうちに夕日もだいぶ降りてしまった様で、辺りが薄暗くなってきた。そろそろ帰らないとと言う山茶花の一言で、芹達は小走りで舟と走り出す。


「僕のせいで遅くなってごめんね……」

「いいのよ芹ちゃん。大事なことだったのでしょ?」

「そうだよ、大事なことならそっち優先だよ! 

しーちゃんもそう思うでしょ?」

「そうだな」


笑って気にするなと言ってくれる家族に、芹は感謝の言葉を返す。もし帰りが遅くなったことを怒られたら、皆で一緒に怒られよう。明るくそう言ってくれる彼等に、好感が持てた主に、芹はこれからの暮らしを考えるのがとても楽しくなった。

明日は明後日は、一体どんな日々になるのだろう。期待に胸を膨らませながら、芹は皆と一緒に帰路についたのだった。