百鬼一族 血脈の書

百鬼一族 血脈の書

当サイトは俺の屍を越えてゆけ リメイクのプレイ日記となります。

そうだ 大江山、行こう

────ここのところ、芥子の様子が変だ。


「けーしーお前の息子、訓練頑張ってるぜー?

しっかり真面目に取り組んでる。さすが芥子の息子だよなー….って、あれ」


まだまだ太陽の日差しが眩しいある日のこと。樒の命で訓練をしていた梔子は、疲労が見えてきた芹を休ませるついでに、彼の母親である芥子に現状の報告をしようとしていた。部屋にいるだろうと当たりをつけて芥子の部屋を開いてみたが……そこに彼女の姿は無く、もぬけの殻。一人もいやしない。


「居ると思ったんだけど….おーい、芥子ー!」


中途半端に開いた襖を閉めると、梔子は声を上げて芥子を探し出す。しかし休憩の時間が終わる近くまで呼んでみたが、その時は芥子を見つけることは出来なかった。そしてこの日以降、……もしかしたらその前からもそうだったのかも知れないが、芥子を見つけられないことが増えていったのだった。


そして、またある日のこと。


「ふんふんふーん。イツ花ー、芥子ー、出かけたついでに団子買って来た……って、ん?

イツ花、芥子は居ねぇの? 今の時間いつもだいたい一緒に居んのに」


秋刀魚が店頭に並びだしたある日の昼前のこと。備品を買いに行ったついでに、梔子は馴染みの茶屋で団子を購入。昼食後に皆で食べる為に、台所へ置きに行き顔を覗かした。するといつもは昼食の準備をするイツ花と、そのイツ花をよく手伝う芥子が居る筈なのだが、今日はイツ花一人でせっせと動き回って居る。


元々、食事の準備等はお手伝いであるイツ花の領分だ。故に梔子が台所に入ることはあまり無かった。だが芥子は幼い頃に気分転換に料理をして以来ハマったらしく、よくイツ花の助手として台所に立つ姿を見掛けていたのだが……なのにどうして、今回はいないのだろうか。

不思議に思っていると、声を掛けたことで此方に気が付いたイツ花が手を止め駆け寄った。


「梔子様! どうなされたんですか?

お昼ならもう少しだけ待っていてくださいネ」

「いやいや、催促じゃねぇよ。ほら団子、墨の買い足しついでにいつもの茶屋で買って来た。昼飯後に皆でおやつとして食べようぜ」

「わーい! もしかしていつものお店のお団子ですか!? 私、あそのこお団子大好きなんですよ」

「おれも。じゃあそこの棚に団子置いておくから….って、そうだ話し逸れてた。

今日は芥子居ねぇの? 珍しい」


忘れそうになっていた疑問を思い返しつつ、梔子は風呂敷で包んだお団子を棚に置く。イツ花は忙しいのか、止めていた家事を再開しながら芥子について話し出した。


「芥子様ですか? 芥子様は書庫だと思いますよ~」

「書庫?」


百鬼家の屋敷の一角には、歴代の討伐記録や報告書、更には鬼や神等についてまとめた資料何かを保管する書庫がある。それなりに広い書庫にある資料たちの管理は、芥子や芥子の父が務めてくれている。有り難いことだ。


何か気になることでもあったのかと考えていると、ぽつり、イツ花が気になる発言を零した。


「今まで解放してきた、朱の首輪に縛られていた神について調べているんでしょうね。

そんなにあの話で思うことがあったのかしら….」

「あの話? なんのことだ?」

「いえいえ、ちょっと芥子様とお話しただけですよ」

「ふーん….、そっか」


昼食はもう少し、という言葉を最初に言った様に、イツ花はあと少しで出来るからなのか忙しなく完了へと近づけている。料理に集中しているせいか、会話はおざなりになり途切れてしまった。

これ以上この場に居ても邪魔になるだけ。梔子は芥子とイツ花の会話について考えを巡らせまがら、台所から去って行く。

 

 


神無月のある日のこと。ついに、梔子の好奇心は爆発した。


「妖怪書庫こもりはここかー!!」

「きゃああっ!? く、梔子!?

襖を音を立てて開けては駄目じゃない!! 痛むでしょう!!? 

それに大声を急に上げない!! 吃驚するからやめて頂戴!!」


その日、梔子は爆発した。必ず、かのコソコソ何かをしている芥子に事実を聞かねばならぬと決意した。梔子は気になったことを放置し続けることは出来ぬ。梔子は、刹那主義である。己の心に従って生き、積りに積もっていった疑問をそのままにして暮らしてはいけぬ……と言う訳で。

ここに挙げた例以外にも、芥子が考え込んでいたり樒やイツ花と真剣に話姿を何度も見ていたら、ついに本人に聞かないと気になってしょうがなくなってしまったのである。

それと時期的にも、芥子には聞かないといけないことがあるのだ。


家中を探し周り他の家族たちに聞き込みをして、芥子が書庫に居ると知った梔子は溢れる気持ちを抑えずに突撃をした。結果、逸る気持ちの犠牲となった襖と驚いた芥子に怒られたのだが。

しかし梔子は、伊達に相棒と共にしょっちゅう芥子に怒られ続けてきた訳では無い。ぷんすか怒られて一気に四連発で注意されようと、これくらいでへこたれりはしないのだ。けれども、一応驚かせたことと強く開けたことの反省はしている。それなりに。


「あ、ごめんな」

「全然反省しないんだから….! はあ……」

「ごめんなー襖、痛かったかー?」

「私に言うことは無いのかしら?」

「あるぜ、芥子もごめんな!!」

「本当に謝ってるつもりなのかしら、その笑顔は……」


誠意を込めて謝ると、芥子は疲れた様にため息を吐いた。本気で謝っているのに、何故かいつも芥子には伝わらない。これがどうやっても埋めることが出来ない溝というモノか….なんて適当な解釈をしながら、梔子はどかりと芥子の横に胡坐をかいて座る。

やはり何かしていたのか、芥子の手や周囲には様々な本や巻物が置かれていた。


隣に居座り出した梔子に対して、芥子は怪訝な顔になる。自分のことは気にするな、と言う気持ちを込めて手を振ると、彼女は再びため息を吐く。

そんなにため息を吐いていたら、幸せも一緒に逃げてしまいそうだ。芥子は手にしていた本を文机に置くと、いったい何の用なのかと梔子に問いただす。


「座ったということは長く居座るつもりなのね……いったい、私に何の用かしら」

「んーそうだな。簡単に言うと、心配と好奇心からの用事?」

「….は? どういうことなの?」


どうも何も、そのままの意味だ。ずっと何かを調べたり考えたりしていることへの心配と、何をしているかの気になる個人的な好奇心。その二つ。

そのまま本心を芥子に伝えると、芥子は湾曲的に言わず最初からそう言いなさいな。と適当なツッコミを梔子に投げた。確かにその通りである。


「もう、どうして梔子はいつも面倒な言いぐさをするの……」

「おれは普通に喋ってるだけだぜ?」

「梔子にとってはそうでしょうね….これはきっと、私と貴方の価値観の差異のせいね……」

「そんな疲れた顔すんなって。 

その辺はもう諦めろよ。ずっとおれ達はこんな感じなんだからさ、多分一生こうだぜ?」

「いや、いやよ。絶対に諦めないわ。

だってそうでないと、私と恒は一生ツッコミ疲れするってことじゃない!」

「ははっかもな。まあ……うん、頑張れ!」

「他人事じゃないわ、梔子当事者でしょう!? 良い笑顔浮かべてんじゃないわ……ってああもうそうじゃないわ! 

こんなを話するんじゃなくて、梔子は私が何しているか聞きにきたのでしょう!?」

「あ、そう言えばそうだった。いや~うっかりしてた」

「“うっかりしてた”! じゃないわよ…! 

はあ……」

「いやちゃんと気付いてたけど、話がノッてきたからさ。つい」


ごめんなと謝ると、芥子はもう疲れて来たと額に手を当てだした。このポーズやため息を、梔子は芥子や恒春にはよく取らせている自覚がある。そのことに対しほんの少しの反省の気持ちを覚えるが、生憎自分はこの性根を自分は気に入っているせいでなおしてやれそうに無い。

だが代わりに、二人が本当に嫌になる前にいつも必ず引くようにしている。それで許して欲しいと思っているが、これを言ったら最初からやめろと言われそうなので口に出したことは無かったりする。


額に当てていた手は、いつの間にか口元へ。この仕草は、芥子が考え事をする時によくやるものだ。きっと今彼女は、梔子に対してどう説明するかそれともどう誤魔化すかとでも考えているのだろう。


(出来れば本当のこと話して欲しいんだけどなあ。心配事や悔いを残して逝きたく無ぇし)


芥子が置いていた辺りの書物達の角度を全て揃えたりして待っていると、彼女が口元から手を離した。これは、芥子の中で結論が出た証だ。

彼女は大した悪戯じゃなく問題なしと見なしたのか、梔子の手元を一瞥すると問いの答えを口にした。


「適当にはぐらかそうかと思ったけれど….いいわ。

私が何をしていたかと言うと、そんなに大したことでは無いの。

……朱ノ首輪を手に入れる為、私が大江山に登る算段をしていただけよ」

「朱ノ首輪? それって、伽羅が危険だからって全部処分したあの首輪?

んで、芥子が登んの?」

「ええ」


梔子の疑問の声に頷いて是と返すと、芥子は先程梔子が整えた書物の一番上に置かれていた、朱ノ首輪についてまとめた資料を手に取った。


「どうしてあれを欲しているかと言うと、最悪な想定が正解だった場合に備えたの。

……あの首輪は確かに呪われていて、付けた者がただじゃ済まないのは、私も梔子も見た事があるから知っているでしょう?」

「まあな、ヤバそうだったのはちゃんと覚えてる」


最悪な想定とは、自分達の中で暗黙の了解となっている一番嫌な未来の結末のこと。だがそんなことよりも、今気になるのは首輪についてだ。


かつて、伽羅や山茶花の母の鹿子が存命時の討伐で手に入れた朱ノ首輪。おれ達で外して解放したあの烏の神は、忌々しそうにあの首輪を一瞥するや否やすぐさま天界へと帰って行った。

残された首輪は家へと持ち帰ったが、ずっと禍々しい何かを放っていた朱ノ首輪を、伽羅は即処分した。だから見れたのは少しの間だけ。だがそのほんの少しの間だけでも、あの強烈な印象は未だに記憶に残っている。


「当時伽羅と二人で調べた結果、あの首輪は凄まじい怨念と共に力が籠っていると分かったの。天界の使いのイツ花からも、朱ノ首輪は付けた者を呪うと同時に力を与えるという証言を取れたわ」


あの日の伽羅、部屋でゴキブリを見つけた瞬間の様に嫌な反応を首輪にしていたわ。なんて、芥子は思い出し笑いを浮かべながら語った。


「その証言を聞いて、伽羅はなお危険と見て処分したけど……最悪な展開になった時の為にも今は、あれが必要だと思うの。

もし、これからも戦わないとけないのなら。今まで通りを押し通せない瞬間が必ず来るでしょう。だから危険を冒してでも、力を得る手段はあるべきよ。

手段は多ければ多い程、一族の選択肢の幅を広げることが出来るのだから」


そこまで言うと芥子は口を閉ざし目を伏せた。すうっと小さく深呼吸をすると、彼女は梔子と再び視線を交え口を開く。


「どうして樒では無く私が行こうとしているのか、それにも正当な理由があるわ。

大江山で朱ノ首輪に縛られている神の解放条件が、“隊長が女であること”なの。

だから、男である樒では出来ないのよ」

「性別はどうしようも出来ねぇからなー」

「ええ、だから女である私が隊長に任命されたのよ。尽力を注いで、必ず神を解放して朱ノ首輪を手に入れてみせるわ」


拳を作り決意に満ちている芥子に、梔子は思わず苦笑いが溢れた。いつも家族のことを考えて心配してと、悩む役割に立つことが多い彼女が前向きなのは良いことなのだろう。だが兄心的には、張り切り過ぎて空回らないか心配になってしまうのが本音だ。


「気合充分な芥子は珍しいな。気合を入れるのはいいけど、あんまり気負いすぎんなよ?」

「大丈夫よ。もし何か起きたとしたら、一緒に行く梔子や恒や山茶花に相談するわ….っあ、梔子。今言ってしまったけれど、来月の討伐隊に参加して貰うわから」

「……….マジで?」

「まじで、よ。

ちなみに、来月私達が行くことの許可は既に樒に取っているわ。今日の夜にでも、樒から皆に伝える予定だったのよ?」


あっけらかんと落とされた言葉に、梔子の思考処理速度が落ちた。今目の前に居る存在は何言ったか。とうばつ….トウバツとは何だったか….TOUBATU……討伐? それはあれか、出陣して鬼を退治しに行くあの行為のことか……? ここまで理解するのに、約10秒程掛かってしまった。


どうにか再起動して、討伐に自分が行けると呑み込めた次の瞬間。喜色満面となった梔子は、戦いに行ける嬉しさのあまりその場を跳び上がった。


「マジかすっげぇ嬉しい!! 本当に最高だ!!

いやー年的にそろそろおれ隠居だろーなー戦いに行けないの残念だよなーとか最近思ってたからさあ!! ほんっとうに嬉しい!! ありがとな芥子!!」


周りの書物に当たらない様に気を付けながら、その場で小さく何度も何度も跳び上がって喜びを表現する。してもいいなら今すぐ家族全員に言いふらし周りたい程に、梔子は嬉しくて堪らなった。


どうしてこんなにも討伐に行けることに喜んでいるのか。それは、梔子が恒春とは別種の戦い好きだからだ。

色々と又聞きで話を聞いた感じでは、弟は鬼を殺すことに愉悦を覚えるタイプの様だ。しかし自分は、殺すと興奮してテンションが上がるタイプだ。この二つは微妙に違うから一緒にしてはいけない。ちなみに余談だが、伽羅も自分と同じタイプだった。そういうところが一致していたから、自分達は気が合ったのだろうと今なら思う。


供述の通り、梔子はもういい年だ。祖父も叔父たちも、今の梔子と同じ一歳七ヶ月には死んでいる。自分的にはまだまだ元気だが、幼い家族を押し退けて寿命間近そうな己がまた戦えるとは思ってもいなかった。そんな訳もあって、梔子はこんなにも喜んでいるのである。


「はー……~~~あーもうッ! 梔子! 

嬉しいのは分かったからいい加減大人しくしなさい! 貴方が飛び跳ねる振動で本が揺れてるでしょう!」

「お….っと、それはヤベェな。ごめん!」

「本当に落ち着きが無いのだから……はあ」


芥子はため息交じりに、梔子のせいで少しズレた本を元の位置に戻す。両手を合わせて書庫の主に謝ると、梔子は同じように本を戻す作業を手伝った。

二人で協力して戻したからか、ズレて危うそうになっていた本たちは直ぐ元の位置に。芥子が満足そうに並べた本を眺めているのを見ていると、梔子はふと脳裏をよぎった疑問を口にした。


「芥子隊長しっつもーん」

「まだ十月だから隊長では無いのだけど….何かしら?」

「戦えるのはすっっっげぇ嬉しいぜ? けど最悪なもしもを考えんならさあ、成長の余地や未来の猶予がそう無いおれよりも澄や芹とかを連れて行ったがよくねぇ?

合理的に考えてさ」


討伐が嫌で言っている訳では無いからな。と注釈を付け加えて、芥子に尋ねる。戦えるのは心の底から嬉しい。だがしかし、今が楽しければそれでいいと思っている自分でも、己が行くのは非合理だと理解出来る。

それなのにどうして、芥子は連れて行こうとしているのか。どうして樒は許可をしたのだろうか。生憎梔子は、その辺の事情を察するのは得意では無い。というか、深く考えるのが苦手なのだ。ノリで自分を討伐隊に入れたんじゃね? 等と適当な結論ですぐに終わらせたくなってしまう。


芥子は何てことも無さそうに、寧ろそんなことかとでも言いたげな飽きれ混じりの声で、理由は三つあるとを指を一本ずつ立てながら教えてくれた。


「簡単な理由よ。一つ、梔子が未だ衰えず強いから。二つ、大江山の敵が私達で敵わない位とても強かった場合、捨て駒にするのは年老いた者から順にする方が効率が良いから。だからもしもの場合、まだ変わりがいない山茶花を私達三人で守って下山するわよ。

……そして最後に、三つ」


三本目の指を勿体ぶった態度でゆっくりと立てると、芥子は悪戯っぽく小さく笑った。……血が繋がっているからだろうか。その笑顔は、何処となくおれ達に似ていた。


「私が、この四人で行きたいの。正直言うと、三つ目が一番重要な理由よ」

「……マジで?」

「まじ、よ」


ついさっき似たような会話をした気しかしない。想定外過ぎる理由に口を開けて驚いていると、芥子はしたり顔で可笑しそうに笑い出した。

いや楽しそうなのは良いことだが、予想外過ぎてこっちは口が塞がらないのだが。


「ふふ、こんなに驚いた梔子は初めてみたわ。

いつもとは正反対の立ち位置になっているわね、ああ可笑しい!」

「いやー….これは仕方無くね?

我が家の参謀ポジな芥子がワガママで決めるとかさあ、珍し過ぎんだろ。

一体どういう風の吹き回しだ?」


驚きを紛らわせる為に、胡坐をかいて座っていた姿勢を変えてみる。両足の裏をぴたりと合わせ、その足を両手で掴んでぐらぐらと揺れ動く。周囲の書物にぶつからない様に慎重に動くのは、自分に少しの緊張感を与えてくれて気分転換に良さそうだ。


口元を抑えて笑っていた芥子は、その手を徐々に降ろして胸元でぎゅっと握りしめる。楽しそうだった表情は一変し、見慣れた眉間の皺が表れる。これは、悩んだり困ったりした時に芥子に浮かぶものだ。


「別に、大したことでは無いのよ? 

……樒は、澄達を連れて必ず朱点を討ち果たすでしょう。あの子達ならきっとやってくれるわ。だけど、だからって、あの子達に全てを背負わせたくないの。

ほんの少しでも、露払いだけでいい。親として、年長者として、子供達ばかりに背負わせたくないのよ……!」


揺れ動くのを止めて、梔子は静かに芥子の思いを聞く。思いをぶちまける妹は、相変わらず家族想いで心配性な様だ。


「だから私は、樒よりも年上の私達四人で行きたいと考えたのよ。

….まだ幼い恒春や山茶花、それに梔子までも巻き込んで勝手に決めたのは……….自分勝手だと、自覚しているわ。それでも、行くならこの四人で行きたいと思ってしまったの。ごめんなさい….」


尻すぼみになり、ついに芥子は黙り込んでしまった。全く、この妹はつい先程の兄の喜び様を忘れたのだろうか。恒春や山茶花が反対するとでも思っているのだろうか。


(全くしょうがないなー芥子は。おれの満ちに満ちてる自信を分け与えてやりたい位の自信の無さだ)


梔子は腰を上げて、沈み込んでこちらに気付かない芥子に一歩歩み寄る。そして思いっきり、彼女の短い髪の毛をくしゃくしゃに撫でまわした。


「っぇ!? きゃ、ちょ、ちょっと梔子!?」

「おーしよしよし、芥子は頭は良いけどバカなところあるよなーよしよし」

「はっはあ!? 何でバカにされないといけないの!! やめなさい! 髪が….!!」

「お前さ、自分に自信無さすぎ。もっと自信持っていいと思うぜ?

家族のことを思って決めた討伐を、おれ達が断るとでも思ってんのか?

現におれ喜んだじゃん、討伐隊に入ったこと。芥子は自分を信じることと、周りをもっと信じる様にしような~~~」


梔子の言い分を聞いて、芥子は髪を撫でる手を止めようとする手をぴたりと停止する。


「……ちゃんと信じているわよ」

「おれから見ると、芥子はもっと信じていいと思うんだよ。心配になるレベルで思ってるからなー?」

「………….」


最後にぽんと一度頭を撫でて、梔子は座り直す。芥子はぼさぼさになった髪を梳きながらも、何処か上の空だった。


(これを機に少しで良いから改善してくれたなら……まあ、うん。なるように為ればいっか。芥子は頭良いんだし、大丈夫だろ)


何とかなるだろう。これ以上考えてもどうしようも無いので、梔子はそこで思考を切り替えることにした。ちらりと芥子を見るやと、まだ梔子の言葉について考えているのか、どこかぼんやりと己の手を見ている。


考えてくれるのは嬉しい。が、それよりも。

無視したままではいられない話題について、己も大江山に行けるのならなおのこと、梔子は自分の次に年長者な芥子に聞きたいことがあるのだ。


ぼうっとしている彼女に気付かれない様、静かに右手と左手を鎖骨前辺りに掲げると、梔子は勢いよく手を合わせた。


「けー….しっ!」

「っ!? な、何かしら、驚いたじゃない….」


ぱん、と大きく響いた音に、芥子は肩をびくりと上げて驚きを露わにする。

梔子は思考の海から彼女が戻ってきたのを認識すると、ちょっといいかと口にした。


「いいけれど….もっと穏便に呼んで欲しかったわ」

「あはは、いやーごめんな? 次から気を付ける。

んで、芥子に聞きたいことがあってさ」

「聞きたいこと?」

「そう、聞きたいこと」


彼女の言葉にオウム返しをしつつ、梔子は周囲に注意を向ける。

唯一の出入り口である襖の外にも、部屋の中にも、自分達以外の気配は無い。誰かが近づいている様な音も聞こえない。念の為立ち上がって襖の外を見てみるが、やはり誰も居ない。


その事実を確認し終えて芥子の前に座ると、彼女は一体何がしたいのだと胡乱な目を梔子に向けていた。


「梔子、貴方何しているの?」

「念の為の確認〜。そんなことよりもさあ、芥子」

「もう、何?」


今生きている自分達も、死んで逝った家族達も、誰もが無視してきたことがある。今まではそれでも良かった、首魁の膝元に辿り付ける算段すら立てられなかったから。だけど自分達は、来月大江山に行く。もしかしたら、自分も当事者になり得るかも知れないのだ。

それならもう、見ないふりは出来ない。だからせめて、年寄りくらいは嫌な現実と先に向き合っておくべきだ。もしもの時に、年長者が一番取り乱していたらカッコ悪い。そんなのは無様を晒すのは性に合わない。


「芥子はさあ、どっちだと思う?

 

朱天童子を倒したら天界の言う通り呪いが解けるか……それとも、最悪の想定通りにになるか」

「それ、は……」


百鬼一族は、基本的に天界の言葉を疑っている。いつから、誰からそう考える様になっていたのかは梔子は知らない。だが家族の大体は、純粋に天界の言葉は信じていない……と、思う。はっきりと全員にどうなのか聞いたことが無い、だから詳細は不明だ。


(おれだけだったら解けるかどうかなんてどうでもいいけど、こいつ等が泣いたり悲しんだりすんのは嫌だからなー。だからおれ個人としては、どっちかと言うと解けて欲しい派….みたいな?)


胡坐の右足に肘をつき、芥子の顔を覗き込む。自分の次に年長者な芥子にも、もしの場合取り乱されたら大変なので聞いてみたが….さて、何と答えてくれるだろうか。

梔子の言葉に、情けない顔をしていた彼女の表情は遣るせないものへと変わり、膝上に置いていた資料を持つ手に力がこもる。


「そんなこと、……そんなこと、聞かないで。勿論、解けて欲しいとは思っているわよ?

だけど純粋に信じ切れる程……私は、素直じゃないの。ないのよ」


芥子は徐々に言葉尻が弱まり、強く自身の着物の袖を掴んだ。

……信じ切ってしまいたいのだろう。その気持ちは理解出来る。巨悪を倒したら全てが解決して幸せな終わりが来る、めでたしめでたし。なんてイイ話なのか、この世の全てが拍手を寄越すに違いない。


だけど百鬼の血が、遺して逝った祖先達の言葉が、そんな風に信じさせてはくれなかった。

信じるとはなにを? 誰を? ……天界を。初代をこの地に遣わした神々を。


俯いている芥子はきっと、脳内で信じたい気持ちVS信じれない本心とで葛藤でもしているのだろう。ここに居るのが自分では無く、恒春や山茶花達ならそっと芥子の心に寄り添った筈だ。しかし、今彼女の前に居るのは自分だけ。生憎なことに、梔子は湿った空気が苦手だ。だがこのままでは芥子ずっと暗い顔……それは困る。し、家族が悲しい顔しているのは嫌だ。


(よーし、芥子の意識をこの話から逸らすか。

あまりに検討違いな話題転換したらあからさま過ぎるし〜、どうすっかなー……)


下を向いて芥子が気付かないことをいいことに、梔子は左右にゆらゆらと揺れてマイペースに話のネタを考える。今この場を誰か見たら、傍はどんよりと重い空気を放ち、傍はのんきに揺れている光景に微妙な顔をすることだろう。そうなることに、梔子は今日の夕飯の煮魚を賭けてもいいと思った。


んんんと唸って知恵を絞った結果、突如梔子の頭に妙案が浮かぶ。

これなら問題ない。ついでに、自分が若干疑問に感じていたことが分かるかも知れない。良い手札を引けたことに浮かれた気分になりながら、梔子は芥子の意識を引き上がらせる為に声を掛ける。


「おーい芥子、気になることがあるんだけどさー」

「….っへ? あ、なにかしら」


思考の海を泳いでいたからか、芥子は梔子の呼びかけに少し遅れて返事をした。


「おれ達の宿願が叶うかどうか、それが間近に迫ったからこそ知りたいことがあって」


軽い世間話をする要領で、梔子は謎に思っていたことをすらすらと適当に述べてみせる。とはいっても、内容は世間話とは程遠い物だが。


「そもそもさ、我が家は何で天界の言葉を疑う奴が多いんだ?

確かに天界の言葉が旨すぎて訝しむのは分かるけど….でもおれらがそう思えるのは、先におれ等の親達が疑っていたからっつー土壌があったからだろ? 

じゃあ何で……何で、母さん達はそう思う様になったんだ….?」


自分で疑問を口にしていくに連れて、今まで詳しく考えていなかった疑問が殊更に深まっていったのが分かる。

覚えている限り、母も兄も姉も全幅の信頼を向けていなかった。全員、何かしら天界へ思うことがある様な口振りをしていた記憶がある。


梔子の言葉を聞いた芥子は、悩む素振りを止めて静かにその場から立ち上がる。急に立った芥子を不思議に見ていると、彼女は書庫の奥へと姿を晦ましたかと思いきや、直ぐに何かを手にして元の場所へ座り直す。

芥子が持ってきた物に目をやると、それは青とも緑ともどちらとも言える色をした背表紙の綴じ本だった。


「それは?」

「……初代の日記よ」

「じいさんの?」

「ええ」


裏返し最後の頁を開き、芥子は端の方に書かれていた初代の名前を指差す。名の隣には“一〇一八年四月〜”と書かれている。今から三年前と言うと、確か初代が京に降り立った年だと梔子は記憶している。本当にこの本が、初代の日記なのだろうか……?

物珍しげに熱視線を日記に送っていると、芥子が梔子に本を手渡した。


「梔子の欲しい答えは、この日記を読めばあるわ。開き癖が強く付いている頁達だけでも良いから、読んでみて」

「ああ、分かった。貸してくれ」


日記を受け取ると、梔子はぱらぱらと最初の頁から軽く流し読みをしていく。日記と言うには、書かれている頁数が少ない様に見受けられる。最後の日付けは一〇一八年七月で、どう考えても祖父が死んだ冬の日付けよりも早過ぎる。途中で日記を書くことに飽きたのだろうか?

不思議に思えど、梔子は一先ず読んでみることにした。勿論、癖が強くついている頁はは入念に。


『一〇一八年四月○○日

天界ではしていなかったが、地上に戻った記念に日記を付けようと思う。

太照天夕子様のお導きで、俺は京の都へ戻ってきた。

今日から俺は直接会うのは初めてな俺の娘と、天界からお手伝いとして使わされたイツ花の三人でこの家で暮らす。上手くやっていけるか……少し不安だ。

だが、俺は死にたく無い。二年も生きられなくとも、二人と協力して必ずこの呪いを解いてみせる。』


『一〇一八年五月○×日

一ヶ月どれだけ探しても、父や母の血族を見つけることは出来なかった。太照天夕子様は“朱点童子は一族の復讐を恐れて”と言っていた。だから父や母の親族も俺と同じで、両親の復讐を考えているのかと思っていたが……京の住人達に聞き込みした限りでは、父の親族はみな亡くなるか、とっくの前にこの地を去ったらしい。母の方は残念ながら全く分からなかった。……恐らく、父と同じだろう。

助力を得られれば何て、そう世の中は甘く無いようだ。だが大丈夫、俺は一人では無い。イツ花が居て、伊予が居る。彼女達がいるから、立っていられる。本当に感謝しか無い。太照天夕子様のお言葉通り、“いつの日か必ず朱点童子を討ち果たす”。その為に、小さくても一歩一歩きちんと歩んで行こう』


最初の方に書かれていたことは、娘の伊予のことや迷宮の鬼、京での生活について等。特に目についた頁は、最初の頁と五月の親族に言及した箇所くらいだろう。


祖父はこの時点では、自分達で呪いを解くつもりだった様だ。三世代、いや四世代経た今でも解けていない現実を生きる梔子としては、素直に哀れみを覚えてしまう。

そしてもう一つ気になった五月の頁、曽祖父母の親族について。居ないのが当然だったせいで梔子は何も思っていなかったが、確かに生まれてこの方、呪われた一族以外の百鬼の名を持つ親族と会ったことが無い。


(身内から朱点童子の膝元まで行けた人間が出た結果、鬼に狙われ易くなって殺されまくったとか? んで、生き残った親族は遠くへ逃げた……そんな所な気がするな)


この推測はあながち間違っていないだろう、そんな不確かな確信を覚えながらも、梔子はぱらぱらと次の頁を捲った。


『一〇一八年六月××日

勇者の子だなんて持ち上げられても、所詮子は子であって勇者では無い。神の血を引く伊予と違い、俺はただの人間だ。迷宮手前の鬼で手こずっている様な今の俺達では、朱点童子は夢のまた夢だ。

……あの神様達は、どうして俺に手を差し伸べてくれたのだろか。幾ら両親が強かったとしても、子の俺は二年と生きられず父達の様に強くなるとは限らない。それに、そこらの木っ端鬼に振り回されていると言うのに。いや、こんなことを考えるのはやめよう。あの方達は俺を助けてくれた。その恩に報いよう。

話がズレてしまった。だから俺は、今月再び交神することにした。神の血を引く子が増えれば、討伐も少しは余裕を持てるだろう。それに家族が増えたら、家はもっと賑やかになる筈だ。そうなったら、俺は嬉しい』


どうやらこの辺りから、祖父は天界の施しに疑問を持つ様になったらしい。自分も母や兄達に聞いたことがあるが、祖父や母達が現役の頃は、迷宮の最初に出てくる鬼にすら手こずっていたと。今では最奥の大将すら倒せる自分達からしたら、にわかに想像し難いことだ。

だが、祖父達は本当に苦戦していたのだろう。だからこそ、そんな自分に手を差し伸べた天界の神々に疑問を抱いた。


恩には報いたい、強く功績を残した両親と弱い子供の自分、家族が増えることを純粋に喜んでそうな感性……母や兄達から、祖父は無表情で喜怒哀楽を出す変わった人だと聞いていた。だがこの日記を読む感じ、何というか、


「……じいさんって」

「?」

「思ってたより普通の人だったんだな。文章だけで、じいさんの最大の特徴だった表情が無いせいか?」

「そうかも知れないし、もしかしたら本当にただの人だったからかも知れないわ。私達は会ったことが無いから、実際のところは分からないわね。でも、私も初代は普通の人だったと思う。……だからこそ、苦悩したのでしょうね」


苦笑いをこぼして、芥子は額の呪いの証を触る。ついつられて、何となく梔子も額の証を撫でた。もう直ぐこれが無くなるかも知れないと思うと、色々と思い返してしまうものだ。


日光を額の玉で反射させて紙を燃やせるか実験したあの日、出来物と勘違いして寝ている間に引っ掻いて血が出たあの日、冬に額の玉が冷え過ぎて周りの皮膚の血色が悪くなったあの日……面白かったことばかり記憶する性質なせいか、ふざけたことしか思い出せない。こういう時、自分はシリアスな空気が合わないなとほとほと実感してしまう。


閑話休題。気を取り直して、力を込めて開いて握り締めでもしたのか、一番ボロボロになった最後の頁を、梔子は開き見た。


『一〇一八年七月×○○日

俺はなんだ。あの子はなんだ。鬼に負けるならまだいい。しかし人間に負け、父を知る者共から失望の視線を受けるのは堪える。なぜ、何故、なぜなんだ?

本当に俺は両親の子供なのか。あの子は神の子なのか。いや、しかし。こんな額に玉を付けた人間の偽物を作る必要は無いだろう。神々は俺で遊んでいるのか?  いいや、神がそんなことをする筈が無い。あの方達は俺を救って下さった本当に? 本当に俺は善意で救われたのか? 確かに俺は天に居た。アレ等が異形のモノであるのは真実だ。じゃあなんで娘は、伊予は、何で人間に負けた。俺が一緒だったからか。弱い俺が足を引っ張ったからか。

分からない、分からない、何も分からない!  俺が倒れたせいで負けたのに、俺は娘を疑ってしまった。俺を遣わした神々に不信感を持ってしまった。俺に失望する京の人間に絶望してしまった。

誰でもいい、教えてくれ。俺は、俺は何なんだ。ああ、ああそうだ本当は分かっていた知っていた理解していた!!!


こんなに弱い俺では朱点童子は倒せない!!呪いを解くことは出来ない!!!  あの神はいつの日か倒せと言った、それは俺で無くても良いということだ!!! それなのに期待されていると思って必死になって!!  愚かとしか言いようが無い!!! 俺は期待なんてされていなかったんだ!!!!』


……中々に情熱的で、読むのに気力がいる内容だった。見開いた頁の全てを読み終えると、一旦顔を上げて深呼吸をした。何となく気分で伊達眼鏡をかけ直し、梔子は件の頁をしげしげと観察してみる。

強い力で日記を掴んだのか、開かれた頁の左端が爪でくしゃくしゃにした痕が残っている。相当気持ちを込めてしたのだろう、掻いた痕に血が滲んでいて痛々しい。


人伝てに聞いていた祖父の形が、ばらばらと崩れていく音が聞こえた。祖父は、耐え切れなかった。弱い人だったのだ。


(これのどこが子供大好き~家族大好き~な、愉快なじいさんだよ。表情筋が仕事しない人だったせいで、表にはこの内心を一切出さなかったとか? だとしても違い過ぎだろ)


気を取り直し、梔子は次の頁を開きまた日記へと向き直る。前の頁を書いた時から少し時間が経ったのか、頁の最後の方は投げやりに書かれていた祖父の筆跡が、最初の数ヶ月と同じ落ち着いた筆使いへと変化している。


『──────伊予が、泣いていた。自分が弱いせいで俺に怪我を負わせてしまった、自分が役に立たなかったから俺が周囲からなじられた、ごめんなさい、ごめんなさい……と。


あんな馬鹿なことを書いてしまったが、本当はちゃんと分かっているんだ。伊予は何者でもない、俺の子だ。俺の娘だ。ああそうだ、そうだった。あの子は、俺を父として見てくれている。俺を認識してくれている。俺を、見ている。


もういい、もう、いいや。もう、その事実だけあれば、それで良い。生きることも、期待に応えることも、俺には無理だ。受け入れよう。認めよう。身の丈にあったことをしよう。だから俺は、大人しくいつかに向けての祖となろう。その代わり、父としての立場だけは誰も脅かさないでくれ。お願いだ。お願いします。神様。

こんな惨めな俺を慕ってくれる娘が居るんだ。あの子の親愛に応えたいんだ。大人しく死にます、だから、父親を張らせて下さい。父親の立場でいたい。縋りたい。ああ、ああ伊予。こんな弱い父ですまない。来月くる子供も、こんな醜い父ですまない。それでも、お前達の親で居させてくれ。幾千幾万居る生物の中から、俺の子として産まれてくれたんだ。精一杯、愛させてくれ。

俺を、 見 て 』 


泣きながら書いたのか、頁の端がふやけて読み辛かった。全て読み終えた梔子は、日記を閉じて大きく息を吐いた。それはまるで、どっと押し寄せた負の念を全て吐き飛ばすが如く。


「はーーーー……じいさんこれもしかして壊れた? それとも狂ったか?」

「この日記を私に継いだ父は、祖父は傷付いて弱った果てにちょっと頭のネジが数本飛んでいったんだろうと言っていたわ」


ちょっと飛んだ位じゃなくね? と思いはしたものの、既にいない芥子の父である延珠に言葉が届く訳でも無い。梔子は喉元まで出てきたその言葉をぐっと飲み込んだ。


色々と思うことはあれど、確かにこの日記には梔子の疑問の答えが載っていた。つまり始まりである祖父が天界の神々に不信感を持ったから、母達も疑念を抱く様になったのだ。と言っても、祖父は不信を抱きつつも神頼みを書いてしまう程不安定なことがあったようだが。大丈夫かこの祖父。いやもう過去の人だが。


「でもま、何で母さん達が天界を疑っていたかは理解出来たぜ。じいさんがお上を何だこいつーって思ったから、母さん達もそう思う様になったんだな」

「ええ。父が存命時に私から聞いたことがあるけど、梔子の言う通りだったわ」

「当たっても何も嬉しくねーーーーよ」


面白くないと言いたげに、梔子は唇を尖らせた。


「言ったら何だが……じいさんが偉い神に望まれたことは、いつかに向けて種馬になることだった。って捉えることが出来るよなあ」

「種馬って……梔子、言い方」


言い様が引っかかったのか、芥子はしかめっ面になる。梔子はおどける様に肩を竦め、悪い悪いとさして悪く思ってもいない薄っぺらな謝罪を述べて話を逸らす。


「最初に注意は言っただろ? ごめんって。

この日記に書かれていることが事実なら、神はじいさんを持ち上げたけど、じいさん自身に朱点童子を倒すことは期待してなかったかも知れないんだよな?“いつか”

と、その事実を湾曲にしか言ってなかった……」

「祖父の勘違いの可能性もあるわ。日記を書いた時の祖父、凄く混乱していたみたいだもの」

「そーーだけどさーーーぁ」

「? 何が言いたいのよ」


訝しく己を見てくる芥子に、梔子は胡座を掻いた足に肘を付いてつまらなそうに言葉を吐いた


「そんな考えをするお偉いサマなら、朱点童子を倒したからってはいそうですかおめでとう解けました! って解けるのかと思えちまうよなあ。信頼し難いって感じ?」

「話が戻ってきたわね……」

「これ読んだらなおのこと思えたんだよ。じいさんを導いた神々は、いけすかない匂いがする。おれの直感が言ってる」

「どんな匂いなのよ、と言うか勘で匂えるってどういうことなの?」

「そこはあれだ、ほらあれ……察しろ!」

「梔子……感覚的ものは分かりやすく説明してくれないと、こっちは全く伝わらないわよ」


はあ、と大きくため息を吐いて芥子は眉間を揉んだ。そう困った風に言われても、生憎言葉で説明出来る様なものでは無いから察しろとしか此方は言えないのだ。


梔子の言葉に対し、何度も最悪な展開を否定する様な物言い……やはり彼女は。


「やっぱり、芥子は信じたい派?」

「……そう、ね。私は神の言葉を信じたい。

だって、そうであった方が良いじゃない。梔子も私も皆も、もう戦わなくて良くなるのよ?」


へにょりと眉を下げ、芥子は思うことがあっても、それでも信じたいと口にした。

その気持ちは、とても理解出来るものだ。


(おれだってめでたしめでたしが良い。でもなあ…………)


優しい妹は、戦うことが好きでは無い。それもあって信じたいのかも知れない。

……頭が回るせいもあってマイナス思考になりやすい芥子が、それでも信じたいと言っているのだ。ならば、その思いは尊重するべきではないのだろうか?


梔子は己の中でそう結論を出すと、芥子に向けて両手を上げて見せた。降参だと言うように。


「なあに、その両手」

「こーさんって意味だよ。芥子のその気持ちを歪めることとかしたく無ぇからな。

てかおれ達二人がもしもを一応認識してるんだし、もうこの話はお終いでいいかーってポーズも含めてる」


そう、そもそも梔子が芥子に尋ねた理由はもしもの時に年長の自分達が取り乱さない様、認識させることが目的だったのだ。だから、芥子の気持ちをねじ負けるのは筋が違う。


(どっちも疑う派だとバランス悪いし、これでいっか)


手に持っている祖父の日記を弄びながら、一応議題達成出来たことで梔子はやりきった様な気持ちになる。一月分位の真剣さを出した気分だ。


「はー何か沢山話して疲れた」

「疲れたは私の台詞だと思うのだけれど。突然やって来られて弾丸の如く話掛けられて……はぁ」

「おっ芥子も疲れたとは奇遇だな!

じゃあ気分転換でもしようぜ! あ、そうだ折角だし恒春達に来月の出陣について話に行こう! 絶対喜ぶから!」

「私はまだ調べ物が「ずっと座ってて身体が硬くなった気がする……走って探しに行くか!」ちょっと、人の話を聞きなさい!」


芥子が何か言っているが、この声色はまだそこまで怒っていない時の声だ。梔子は聞こえない振りをして、日記を横に置いて正面にあった自分よりも華奢な腕を掴んで立ち上がった。


「え、っえ、今度は何よ!?」

「思い立ったが吉日……だっけ。そう言うことだ、行くぞ!」

「ちょっと待っきゃあッ!!?」


上手く周囲の棚にぶつからない様に注意しながら、梔子は芥子を連れて書庫を飛び出した。やっぱり自分は、後のことを考えて何かするよりも、こうやって今楽しいことを全力でする方が好きだ。


後ろで足をもたつかせている芥子が転ばないか目配りをしつつ、梔子は恒春と山茶花を探す為に廊下を走り抜ける。ああ、走って目の前に現れたら二人はどんな反応をするだろうか。想像するだけでも面白くってしょうがない!