百鬼一族 血脈の書

百鬼一族 血脈の書

当サイトは俺の屍を越えてゆけ リメイクのプレイ日記となります。

優しい人

「─────どうして笑える。無理に笑っているなら、やめてくれ」


冷え切った声と難しい顔で、樒は山茶花に問いかけた。


ここは紅蓮の祠から京へと帰る道中の川辺。恒春達が焚き火に使えそうな木々を拾いに行き、現在自分は樒と二人きり。

腰を落ち着けて談笑をしていた最中の、唐突な弟の発言。思いも寄らない言葉に驚きを隠せず固まってしまい、せせらぎの音だけがこの空間を支配した。


(樒ちゃんには、そんな風に見えての……?)


何がどうしてなのか、全然分からない。別に無理もしていない。会話が楽しかったから笑っただけだ。

なのに何故、弟は苦しそうな顔をしてそんなことを聞いてきた?


まだ此方が状況についていけず混乱しているというのに、樒はとんとんと言葉を重ねて、疑問を口にする。


「死にかけ大怪我をして、跡が残る程の体験をして。

……山茶花も一人の武人だ、それは当然理解している。だが、恐怖を覚えなかったとは思えない」


そこまで告げられ、漸く合点がいった。

確かに己は、先の戦いで死にかけた。おまけに顔半分はこんがり焼けた。完治しても、きっと元通りの顔には戻らないだろう。


(確かに結果こうなっちゃったけど……私、生きているもの。

死んだ訳じゃないからなあ)


誰かが死んだり五体不満足になった訳でもない、ただ己の顔が焼けただけ。戦っているのだ、傷が残るなんてよくあることだ。こんなに目立つ場所に残ったのは、確かに今回が初めてではあるが。

故に山茶花は、まあこういうこともあるよね、としか思っていなかったのだ。


だが重く捉える気持ちが分からない訳ではない。

あの戦い、一歩間違えば己はあのまま亡くなっていた可能性もある。運よく七光の御玉が、澄の母神が自分達が求めた力を貸してくれたから、山茶花は今もなお生きていられている。


「俺たちに心配掛けたくなくて笑っているなら、今すぐやめろ。

そんなことされても、全く嬉しくない」

「……」


弟は当主だ。全ての責任を負う者だ。

山茶花が死にかけたのも後遺症が残ったことにも、きっと責任を感じているのだろう。重く受け止めてしまったのだろう。指示を出していたのは、浅葱様だから。


苦しそうな顔は、ともすれば泣きそうにも見える。


「お前が、俺たちを大事にしているのは知っている。大事だから守りたいと思っていることも分かってる。

だからこそ、怪我したのが、死にかけたのが自分でよかった。なんて思っていないだろうな。自己犠牲の精神か……姉さん」

「……….自己犠牲、かあ」

「ああ」


うん、ちょっとその言葉は頂けない。あとこんな時じゃないと姉と呼んでくれないことも、そこそこ感心できない。だがそれは流してもいい、置いておこう。


樒は思っていたことを全て吐き出したのか、口を閉じてじっと此方を見つめている。


山茶花は家族が好きだ。優しく温かい家族が大好きだ。だから守りたいし、護りたいと思っている。弟の言葉の前半は間違いでは無い。がしかし、最後の言葉は駄目だ。


「自己犠牲は見誤ってるよ、樒ちゃん。

私、私が傷ついたり最悪死んだりしたらみんなが悲しむって、ちゃんと理解しているわ。それが分からない程、貴女の姉さまはお馬鹿さんじゃないよ?」

「……!」


少し怒ったような顔をして、樒に人差し指を突きつける。

自覚ありなくらい怒ったことが無い姉の珍しい表情に驚いたのか、弟は伏せていた目を大きく見開いた。


だが驚いた顔は、一瞬でいつも通りの無表情へと変化する。

直ぐ変わってしまったのが少し残念だ。この子のこんな表情は珍しいから、もっと見ていたかった。


「あのね、私は確かにみんなが大事だよ。前衛職なのもあって、守りたい気持ちもとってもとっても強いよ?

でもだからって、なり振り構わず私だけが傷つけばいいのになんて、そんなことちっとも思っていないわ」

「….本当か」

「本当だよ、嘘も偽りもないわ」

「……」

 

言葉の真偽を見定めたいのか、樒はじっと此方の目を見つめる。

それに対し、山茶花も同じように真っ直ぐ視線を交えた。やましいこと等一切ないのだから。


どちらも口を開くことなく数秒、いや数分かも知れない程の時間が流れる。

夏だからか、包帯越しに頬を撫でる風が生ぬるい。だがそんなことに気を取られてしまったら、きっと弟は信じてくれないだろう。


更に暫し経ったその時、遂に動きがあった。樒が目線を外し、手拭いごと頭をぐしゃぐしゃとかき混ぜたのだ。


「樒ちゃん……?」

「….……悪い」


眉と視線を下げるその様は、何処となく罰が悪そうだ。気不味そうにも申し訳なさそうな顔にも、少しだけ動かされたその顔は見える気がする。


「間違った像を押し付けた。

……山茶花の言う通り、見誤っていた」


すまなかったと吐き出して、樒は手で顔を覆った。

先程まで感じていた張り詰めた空気はもう感じない。今は寧ろ、弱って小さくなったようにすら感じる。


(ねえ樒ちゃん。当主様は、浅葱様であることは、大変だね。疲れるね。いっぱい考えていっぱい見なきゃいけないだなんて、ずっとしてたら訳分からなくなっちゃうね。

……ただの樒ちゃんだった頃のが元気だったように思うのは、私の気のせいかな)


憐憫を、胸中で吐き出した。口には出せない。この子はそんなモノを望まないだろう。

弟が当主として全てを背負う気概であることは知っている。左耳の耳飾りが、その証明であることも。


ぐしゃぐしゃになってしまった弟の髪を、山茶花は少し背伸びしやわく撫でた。こんなことで元気になるとは思っていない。だけど気を紛らわせるくらいにはなればと、そう願って。


撫で出したことに驚いたのか、樒はびくりと大きく体を跳ねさせる。胡乱げに見下ろしてくるその顔が面白くて、小さく笑みが浮かぶ。


「……何をしている」

「頭を撫でてるの」

「……..どうして撫でているんだ」

「撫でたかったから、かな。駄目?」

「……」

「……」

「……….もういい、好きにしろ」

「ふふ、やったあ。好きにするね」


諦めたようにため息を吐かれる。小さな頃の弟だったら、何でこんなことをするか理解できない。なんて無機質に言っていただろう。

そう思えば表情も感情も、随分と豊かになったものだ。


紅蓮の祠で見たどの炎よりも好きな、家族の火色を撫でる。燦々と陽の光を浴びてるからか、弟の髪がいつもより明るく見えた。


「かわいいね、樒ちゃん」

「……そうか」


ご機嫌に撫でている姉で気が逸れたのか、樒は呆れたような顔になっている。良かった、どうやら少しは紛らわすことが出来たようだ。


(あ……そうだわ。これ、一応言っておいた方がいいかな)


だけど樒ちゃんのことだもの。分かってそう……そう、だけど….。

撫でられ続けたせいで無心の顔になっている弟を見ながら、ううんと思案する。


今日に至るまで、一言で表せないほど様々な出来事があった。

彼は当主だ。それゆえ誰よりも対処に追われていたのも一因にあるのか、今の弟は何処となく弱り、疲弊しているように見える。


(元気な樒ちゃんなら、ちゃんと分かってると思う。

でも、今は弱ってるから……)


主であるならば理解して当然のことだ。だがしかし、見誤った発言に至るほど弱ってる今は?


如何せん、内容が内容だ。忘れていた場合に一番悔やむ状況になるのは、当主様だ。


そうなったら、この子はまた深く悲しみ怒るだろう。それは嫌だ。

山茶花は意を決し、手を下ろし樒に声を掛けた。言ったせいで彼がなお弱るなら、その時は自分達が支えればいい。そう考えて。


「樒ちゃん」

「はあ……今度はなんだ」


次は何を仕出かす気なのか、そう言いたげな顔をしてる弟の瞳を見つめる。


「さっきの話のある意味での続き……かな。聞いてくれる?」

「……ああ」

「うん、ありがとう。

……私も、他の家族達も。貴方を軸に、私達一族は動いている。当主の樒ちゃんが要で支柱なの。そうでしょう?」

「……そうだな」


何を告げるたいのかを計っているのか、静かに視線が突き刺してくる。

その目に気付きながらも、山茶花は言葉を続けた。


「当主という御旗は一つじゃないと、その下にいる人たちは惑ってしまうわ。

だから当主は一人だけ。だけど、下の私たちは一人じゃないよね」

「樒ちゃんはちゃんと分かってると思う。

……でも樒ちゃんは、優しいから。だからあえて、酷いこと言うね?」

「もしもの時、私たちを切り捨てることを迷わないで。貴方は自分の生存を一番に考えて」

「そのもしもが来た時、私や他の誰かが捨て鉢にしてと言ったら。それは自己犠牲じゃないわ、次に繋ぐ為に礎になる為の行動だよ」

「だから…………だからその時は、そんな顔しないで、私たちを使って下さい。浅葱様。

武家の者として、常に覚悟していますから」


言い終わる頃には、樒斬はまた難しい顔になっていた。させてしまった。


「樒ちゃん」

「……」

「……樒ちゃん」


深く深く眉間に皺を寄せ、激しい目付きで拳を握って。

山茶花の言葉の意味をちゃんと受け止めているからこそ、こんな顔になっているのだろう。本当に、優しい子。


元気なら恐らく、不詳ながらも返事をしてくれたと思う。

だけど今の彼にとっては、追い詰める発言だった。ちゃんと言葉を飲み込む時間がいるだろう。


立ち尽くす弟の頭を、また気を逸らせれるかなあと再び撫でた。


「……」

「そろそろ、二人が戻ってくるかなあ」

「……」

「……樒ちゃんは、本当に可愛いね」

「…………お前は、」

「ん?」


ぽつり、樒が言葉を零す。

撫でる手を止めて、山茶花はその顔を覗き込む。


「…………姉さんは、本当に優しいな」


くしゃりとした破顔が、不思議とひどく目に焼き付いた。


不意に遠くで、砂利を踏む音がする。

二人して其方に顔を向けると、見知った黄色と赤が見えた。恒春達が戻って来てるようだ。


「……戻ってきたみたいだな」

「……….うん、みたいだね」


すっと瞼を綴じたかと思ったら、直ぐに開けた時にはいつも通りの樒が隣に居た。

その変わりように、山茶花は顔には出さず驚きを表す。


「思った以上に枝を拾ってるな……手伝いに行ってくる」


此方を一瞥して、二人の元へと歩んで行った。


(……二人に心配掛けたくなかったのかな)


樒の様子を、山茶花はそう結論付けた。

恒春達の元に行った弟はもう、普段通りにしか見えない。


「はあ……」


自分は突き付ける立場を選んだから、もしかしたらもう弱音を吐いてくれないかも知れない。

思わずため息が出た。


(誰か……あの子に寄り添ってくれる人が、出きますように)


神様は嫌い。鬼も嫌い。だから誰でもないナニカに向かって、山茶花は祈りを捧げた。