百鬼一族 血脈の書

百鬼一族 血脈の書

当サイトは俺の屍を越えてゆけ リメイクのプレイ日記となります。

眠りつく日 後編

「呪いが解けなかった事実や、朱点童子の真実……。

あの日の起きた全ての事柄を、芹はどう思っているの?」

「……僕がどう思ってるか、かあ」

「ええ」

「僕が、か……うーん、そうだなあ….」

 

質問をどう感じているかじっと観察してみるが、これと言って変わった様子は無い。

うんうん唸ってはいるが、当時を掘り返されたせいで苦痛に感じている訳でも無いようだ。


あの日が深い傷になっている家族もいる故に、芹は恐らく大丈夫だと思ってはいても不安があった。苦しそうでも恐怖に感じてもない事実に、芥子はそっと胸を撫で下ろす。


それにしても、どうして唸っているのだろう。そんなにこの質問は答え難い思いがあるのか……いいや、恐らくだが違う気がする。あまり不確かなことは信じない性質だが、自身の第六感がそうだと告げている。

内なる自分が告げてることって凄く大事だよと、いつだったか直感型馬鹿の二人が教えてくれたのだ。


(随分と唸っているわね……どういうことなの….?)


かれこれ一、二分ほど唸っている芹を見続けるのに耐えかね、我慢できずついそっと声をかける。


「芹……その、大丈夫? 

そんなに言い難いことなの?」


全く動かずに唸る息子の肩に触れる。途端、芹は弾かれたように顔を上げ、違う違うよと手を横に振って否定を口にした。

 

「ああごめんね、違うよ?

母上が心配にする様なことは何も無いから安心して。

ただ、なんて言えばいいのか悩んでいただけだから」

「……本当に?」

「うん」


こんな時に嘘なんてつかないよ。目尻を下げて軽く笑う姿を見て、芥子は安堵の息を吐く。


しかし回転の速い己の頭は、直ぐに思考が移り変わる。

言葉に窮する思いとは、いったい何なのだろう。くるくるぐるぐる脳が働いて、言葉の意図するものを考えてしまう。

心配することは無いが、言葉にするには難しい感情がある。または母である芥子だから言い難いものがある……と、いったところだろうか。


「っふ、ふふふ。

ちゃんと教えるから、そう難しい顔しなくていいよ?」

「え?」

「ほんと、母上ってすぐ思案しちゃう人だよねえ。

しかもかなり顔に出る性質みたいだし……ふふ、母上は腹芸とか向いてなさそう」

「….悪かったわね、向いてなさそうで」


くすくす楽しそうに笑われて、思わず不貞腐れた声が出てしまう。

芹は笑いの波が治ると、どう思っているのかを教えてくれた。


「倒したのに解呪せず、本物の朱点童子が復活し、僕らと違って天界はお祭り騒ぎで、迷宮は増え、あまつさえ鬼はさらに強くなった….」

「……」


あの日を境に生じた問題や疑問を、芹はいつも通り軽やかな声色で指折り数え始めた。

邪魔にならないよう、自分は静かに見つめて続きを促す。内容が内容だけに、膝に添えている己の手に力が籠るのがわかる。


.…きっと、見ていた私の顔が強張っていたのだろう。

安心させるためなのか、芹はぱっと折った指を広げるといたずらっぽくわらって見せた。


わらってわらって、とんでもない発言を投げてきたのだ。


「それら全部、なにもかもさあ」

「……ええ」

「────で?

….って感じなんだよね、正直な気持ち」

「……………は?」

「つまり、大した思いが無いんだよ。僕は」


だから逆に言いにくかったんだよねえ、ふふふ。

なぜか照れたような態度をとる芹に対し、芥子は投げられた言葉を噛み砕くのに精一杯になっていた。ちょっっっっと、何言ってるか分からない。


(た、確かにそこまで悲観してないと予感していたけれど……この反応は予想してなかったわよ!!??

想像以上にあっけらかんとしてて、もう、本当、驚きしかないわ……)


そう重く考えていない予感はしていた。だが重い豪速球がくる場合も想定して念入りに構えていたせいか、すかしてそのまま転倒したような感覚が今を自身に走っている。

ちょっと起き上がるまでの時間が欲しい、できればそっと待っていてくれたらなお嬉しい。


「っえ、ええと……えッ?」

「ふっ、ふふ、ふ、あっははは!

母上が面白いことになってる。思った通りだ!」


思考処理が間に合わず固まっている母が、そんなにも面白いのだろうか。

いたずらに成功した子供のように、芹はくすくすと喉を鳴らして笑っている。


楽しそうにしている息子の傍で、返事も忘れ処理に専念すること約一、二分。

やっと芥子は息吐くことが出来た。息と共に張っていた肩肘の力も抜けたのか、少しだけ体が軽くなったのが分かる。


「はあ……ええ、ええ。大丈夫、落ち着いたわ」

「あ、やっと母上が理解できる言葉を喋ってくれた。

おかえりって言うべきかな? 思考の海を泳ぐのは楽しかった?」

「まったく貴方って子は….….楽しくないし、おかえりもいらないわ」

「ふふ、それは残念」


少しも残念そうな顔をしてないじゃない。心中でぽつりと呆れを吐く。

人を手玉に取るのが好きな子だと知ってはいたが、親をも取って楽しいのだろうか? 

自分にはよく分からないが、芹は楽しいのだろう。多分。


(まあ、そんなことは今はどうでもいいでしょう。

それよりも……)


芥子は詳しく話を聞くため、思考を戻し口を開いた。


「芹。どういう意味なのか、詳しく教えて貰ってもいいかしら?」

「ああ、勿論だよ」


快く鷹揚に頷くと、芹はまた庭に視線を移した。

息子に続くように景色を眺めつつ、紡がれていく思いに、真意に、芥子は耳を傾ける。


「呪いが消えてなくても、僕が美しいものを尊び、愛する性根が変えられた訳じゃない」

「朱点童子の正体が黄川人でも、天界が馬鹿騒ぎしても、迷宮が新たに出てこようと鬼が強くなろうとも、あとイツ花がはしゃいで温度差酷いことになったり我が家の雰囲気最悪になっているとしても、僕が侵され変わった訳じゃない」

「僕は僕、正真正銘この世にただ一人。

黄金の命の糧を象徴する稲荷の神と、一族の命を紡いで記した軌跡を預かる百鬼芥子。そんな父上と母上の息子であることに変わりは無い」

「ああ勿論、色々状況が変わったのはちゃんと理解しているよ?

それでも結局、僕は僕だ。だから僕は僕のままで、変わっていないし動じていないのさ」

「まあだけど……こんな僕でも、この家はそこそこ気に入っているからね。

動じていないからと言って、不愉快に思ってない訳では無いよ。それはそれ、これはこれってやつだね」

「好機が到来したら、鼻っ柱へし折るくらいはしたいと思ってるよ。

よくも僕達で遊んでくれたな……ってね」


母上なら僕の言っていることや気持ち、分かるだろう?

自信満々に、堂々と。そのような言葉が相応しく思えるような表情で、胸に手を添えて芹は笑った。


堂々した姿と母なら分かるはずという信頼を向けられて、芥子はもうやんわりと笑うことしか出来なかった。

自分はもう無理だけど、こうまで言ってくれるこの子が居てくれることに、漠然とした嬉しさで堪らくなってしまう。


「だけどこの心情はさ、今の誰かさん達の耳に入ると面倒になりそうだろう?

情緒不安定になってる誰かさんとか、静かにずっと燃え続けてる誰かさんとかさ。

だから実のところ、吐露したのは母上が初めてなんだよね」

「そうでしょうね。そんな気はしていたわ」

「我が家の現在の状況的に….ね?

それに、僕は主思いだから。僕なりに、ね」


そう言って肩をすくめると、芹は軽い動作で立ち上がる。

高くなった顔と視線を交わすために首を伸ばす。たったそれだけの動作が億劫で、芥子は少し嫌気を覚えた。


「はー….柄になく語ったから喉渇いちゃった。

ねえ、母上の水差しの水、少し貰ってもいい?」

「ええ、構わないわ。

沢山話すとそうなってしまうものね、ちゃんと水を飲んできなさい」

「あはは、そうするよ」


芹はくるりと向きを反転させ、芥子の部屋へ入っていった。

水差しは先ほどまで寝ていた布団の側にあるから、そう探さずとも見つけ出せるだろう。


なんとなしに足を崩し、両足を縁側から降ろしてぷらぷらと動かす。緩やかに吹き抜ける春一番が足に触れ、少し心地よい。


(当然のことと、言えばそれまでだけれど……血を分けてはいても、あの子は私と全然違うのね。

もし私が同じ立ち位置にあったとしても、ああは思わなかったでしょう)


つい先ほど聞いた言葉達を反芻して、きちんと呑み込む。

脳裏にしかと刻み込むために思い返せば返すほど、伝えられた言葉の中の一つがもっと深く刺さってしまい、口元が緩むのを誤魔化せなくなっていく。


「誇らしそうに思ってもらえるなんて……ね」


嬉しいような戸惑うような、そんな心地になってしまう。面映い、この言葉が今の自分に適している気がする。


(書記みたいなことをしていたのは、父が元々担っていたからという成り行き半分がまず一つ。

戦いがそう得意じゃないからこそ、何か出来ることを探していた時に目に付いたのがこれだったというのがもう半分。

そんな、大層な理由で始めた訳では無かったのよ)


少し動かしただけで疲れを訴えてきた己の足を休ませて、芥子は遠く空を眺めた。


自分の亡き後、書庫の管理は芹が引き継ぐことになっている。あの子がそうなることを望んで、己がやり方を教えたから。


息子のことだから、しっかりと役目を、“役割”を引き継いでくれることだろう。父の後を継いだ自分のように。……それしか無かった、出来なかった父や己とは違うというのに。


(今更なことだけど、三代も続けて同じことをするなんて….役割を、しきたりを作ってしまったようで……….駄目ね、この考えはよくないわ)


つい意図せず、眉間に力が入る。どうしてこう、己は悪い方悪い方に考えてしまうのだ。


そう客観視できたとしても、思考を嫌な方にすぐ働かせてしまうのが百鬼芥子という存在のようで。

やめておけばいいのにと、どこか呆れた瞳で見る己を遠く感じながらも、芥子の頭はそれでも考えてしまうのだった。


(もう、我が家は血統の呪いに縛られている。

それなのに私があの子に継いだことによって、新たに縛るものを作ってしまったといえるのでは……?

芹は本人が満足しているから良いとして、じゃあその後は? 

後の子孫達もしたがるとは限らないでしょう…..?)


先のことなんて、今を生きる自分にはどうしようもないと分かってはいる。いるけども考えてしまう。まずは落ち着こう、落ち着かねば。


周りすぎる頭を落ち着けるため、芥子は胸元に手を当てて大きく深呼吸をした。

肺いっぱいに空気を入れては吐き出しす、それのみに神経を集中させて意識をずらそうと試みる。


「ふう……はあ……よし、大丈夫」


いま部屋にいる芹には聞こえないよう抑えた声で、芥子は己に言い聞かせる。

そもそも先のことなんて、後の世に生まれる者達のものだ。過去の存在となる己が憂いたところで、出来ることはそうないだろう。心配性も過ぎればただの傲慢だ。


「ええそう、そうよ、どうしようもないの……」

「────なにが“どうしようもない”、なの?

また悩みんぼになったのかな?」

「……ぇ゛っ!?」

「ああごめんね。脅かせちゃった?」


まだ帰って来ないと油断して零した言葉は、ちょうど障子戸を開けた息子に聞かれていた。

固まっている芥子をよそに静かに戸を閉めると、水差しと湯呑みの載ったお盆を両手に座りなおす。


(ど、どうしましょう……芹のことだから、きっとに内容を聞いてくるはず……!

どちらかと言うと根掘り葉掘り聞いてくる子だもの……!!)


目を泳がせている母を尻目に、芹は持ってきた二つの湯呑みに水を入れ、片方を手に取り優雅な動作で喉を潤した。


部屋で飲んできたと思ったのにそうでは無かったのか。いや違う、そうじゃない。もっとするべきことというか、言うべきことがあるのでは無いのだろうか?

母は独り言を聞かれ、とても気不味いと感じているのに。もしや聞く気がないのか? だとしたらとても有り難い。


「ふう、水が美味しい。

それで母上、今度はなにを悩んでいるの?」


ほんと、母上って面白いよねえ。と、楽しそうに笑われた。

己のどこが面白いのか、自身にはさっぱり分からない。芹の方がずっと面白くて、人を楽しくさせられる資質があるだろう。だが不思議なことに、彼からしたらそうでは無いらしい。


先程まで考えていた内容はとても詮無いことで、だから無理矢理に自分の中で終了させようとしていたモノだ。

聞いてもつまらないだろうし、その価値も無いだろう。


「ええっと、もう解決しているわ。

だから大じょ…..」

「大丈夫でも僕が知りたいから教えて欲しいなー?

だめ? 母上」

「……」

「ほら、お水あげるから。美味しいよ?」

「……とりあえず、いただくわ」


目を彷徨わせつつ話題を終わらせようとする母に対し、どこか甘えた感じで見つめてくる我が子の姿。

賄賂代わりに渡したと思われる水に口を付けて、ゆっくり喉を潤した。


……それがわざとだと分かってはいるが、それでも自分にしか見せない我が子の姿だ。ぐらりと心が揺れてしまう。

こうなってしまうのも、芹が好奇心だけでなく心配も込みでそうしていると分かるからだ。

息子の優しさに気付かないほど、自分はまだ耄碌していないつもりである。


「……….楽しくも面白くもない、本当にちょっとしたことよ?」

「母上にとってはそうだとしても、僕にとっては違うかも知れないだろう?

だからさ、教えて欲しいな」


念押しするように顔を覗き込まれて、芥子はとうとう両手を挙げた。降参だ。


自分は息子に弱いのかも知れない。つい溢れそうになった苦笑いを噛み締めると、飲んだことで濡れた湯呑みの縁をぬぐいつつ、ぽつりぽつりと言葉を吐いた。


「……我が家は、二つの呪いに縛られているでしょう?」

「うん」

「私が書記をしていた理由は、簡潔にいうと成り行きと力不足から。

祖父がしていた理由も……大まか、似たような理由から」


父の場合、というより含めて先々代の者達はみな、まだ家の体制が盤石では無いせいで役割という言葉に固執していた節があったようだ。

が、その辺りは話すと酷く脱線してしまう。それにこの話においてはそう重要なことでは無いので、ざっくばらんで良いだろう。


「どんなことも代や人、年月を重ねてしまうと、私たちは意味もなく価値を見出してしまうもの。

一人だけなら一過性と言えるけど、二人三人と続いた場合は?

私と貴方は自ら選んで、書記をすると決めたわ。そうでしょう?」


隣にいる芹に言葉を振ると、同意するように頷いた。

静かに聞くその姿から、聡い息子は母が何を言いたいのか、まるで察しているように映る。


「三代続いて同じ家系から、一子相伝のように継いだ書記というこの役割。

芹は広義の意味で賢い子だから、次代は上手くいくと信じているわ。

────でもそれより先の子孫たちは? この役割が更なる縛りと、重荷と感じる子が出てくる可能性は?」

「うーん、無きにしも非ず……ってところかな。

確かにそれは、手に余る話だね」

「そうでしょう?

だから私、どうしようもないと言っていたのよ」

「ふふ。だけど、僕は知れて良かったと思ってるよ?」


そう言いながら芹は水差しを手に取り、おかわりはいるかと身振りする。

芥子はまだ大丈夫、と中身の残っている湯呑みを見せて首を振った。


「知れたおかげで、僕はそのもしもの可能性を念頭に置くことが出来るからね。

知れなかった場合よりかは、どうにかなる確率は上がったんじゃない?」

「そう、かしらね……?」


首をひねる己とは対照的に、のんびり水を飲む息子の姿。

そんな芥子の様子を見て、湯呑みを膝に置いた芹は柔らかく笑った。


「そういうものだよ。

だって僕達にはどうしようもないんだから、ね?」

「う……それを言われると何も言えないわね….」

「ふふ、そうだろう?

こういう事は、頭の隅に置いておく程度がちょうど良いんだよ」


まあ、母上の気質的には難しいかも知れないけどね?

なんてくすくすと口を隠して笑う息子の額を、芥子は軽く指で弾く。

ここまで子に気を使われて、不安がる訳にはいかないことくらい分かっているのだ。


もうそんなに力の出ぬ指で弾いたというのに、芹は大げさに体を震わせて額を抑え、悲痛そうな声をあげた。


「あいたっ!

うわ、どうしよう。母上に初めて家庭内暴力を振われた……!」

「芹、せめて顔も悲しそうにしなさい。

目が笑ってるわよ?」

「酷いよ母上……DVだなんて….」

「駄目だわこの子。話を聞いてないわ……」


さっきまで真剣な話をしていた気がするが、どこで方向転換が起きたのだろうか。

若者の勢いについて行けない。


しくしくと口で言っている息子をどうするか悩んでいると、どこからか音がした気がして周囲を見回した。


「あれ、樒様だ」

「え?」


泣き真似をやめた芹が見ている方へ目を向けると、突き当たりからお盆をもった樒

が居た。

よく見るとその背から少しはみ出す長い赤髪が見え、どうやら澄も共に居るようだ。


「樒達、どうしたの?」

「賞味期限が近いどら焼きを見つけて、芥子の部屋に行けばセリーも居ると思ったから来た。

昼前だが、良かったら食べるのを手伝って欲しい」

「……お茶も持ってきたけど、いる?」


樒が置いたお盆の上には、どら焼きが四つ乗っていた。自身の隣にしゃがみ込んだ澄の持つお盆を見ると、お茶の入った湯呑みが湯気を立てている。


ひと月前から変わった樒と澄の芹への呼び方には、まだ慣れない。きっと己は死ぬまで慣れることはないのだろうと、漠然とだがそう理解している自分がいた。


(もう私が首を突っ込むのは寿命的に厳しいわ。

……この子達が私と同じ場所に来る頃には、色々と変わっていることを願いましょう)


芥子達が持っている湯呑みの存在に気付いたのか、澄は持っているお盆と湯呑み達を見比べて顔色が変化する。眉を下げて、やってしまったと書いてあるような顔だ。


「ありがとう澄。いただくわ」

「え、……いいの?」


持っていた水の入った湯呑みを飲み干し、芹が持ってきたお盆に戻す。

芥子はにこりと澄に向かって笑みを浮かべると、お茶の入った湯呑みを一つ手に取った。


「ええ、どら焼きにはお茶の方が合うもの。

ほら澄、ずっとしゃがんでいたら疲れるでしょう。座りなさい」

「うん……ありがと、芥子姉さん」

「どういたしまして。

樒、貴方も座って。みんなで食べましょう?」

「ああ」


芹、芥子、澄、樒の並びで座り、お茶とどら焼きを一つずつ配り合う。

各々手にしたどら焼きを口に含み、その甘さに舌鼓を打った。昼前に食べているせいで少し罪悪感があるが、それでも甘くて美味しい。


軽く四人で雑談をしつつ、お茶が少しぬるくなってきた時。唐突に芹がそう言えばと声をあげた。


「ねえ聞いて二人共。さっき家庭内暴力が振るわれてね?」

「まだその話を続けるの!?」

家庭内暴力……?」

「…………話だけは聞いてやる」


話を蒸し返す息子に驚きしかない。まだする気なのか。


話題を振られた二人はというと、澄は不思議そうに、樒は“どうせ芹の冗談だろう”と冷めた目をしている。

 

「二人が来る少し前に、いきなり母上に痛みを与えられて……正直、あの時は何が起こったか分からなかったよ。まさかこんなことされる日が来るなんてね……ううう……」


わざとらしく嗚咽し目尻を拭う息子を、芥子は冷ややかな眼差しで見つめた。


澄は無視してどら焼きを食べているのか、隣から咀嚼する音が聞こえる。どうやら関心がそうないようだ。


「芥子、実際は」

「からかわれたから額を指で弾いただけよ」

「なんだ、ただのデコピンじゃん。

芹おおげさ」


ちゃんと話を最後まで聞いて芥子の言い分を尋ねる辺り、樒は真面目な子だ。


最後の一口を食べ終えた澄が呆れた声で言うと、芹は泣き真似をやめて反転してつまらなそうな声をあげた。


「酷いなあ、少しふざけただけだろう?

二人共つれないなあ」

「そういうノリはソテッちゃんに頼め。

あいつが適任だ」

「ソテツはいつもしてくれるから。偶には他の人ともふざけたいんだよ」

「だからと俺達に振るな」

「えー」

「えーじゃない」


端と端に座っているせいか、二人は上体を少し反らして芥子達の背中を挟んで言葉を飛ばし合う。


ふざけた話題が終わったことに芥子は一息ついていると、門のある方角から声が複数ほど聞こえた。誰か帰って来たのだろうか。


「この声は……山茶花達か」

「四人全員の声がする辺り、どこかで合流して一緒に帰って来たみたいだね」

「そうだね。私、出迎えに行ってこようかな」


体力と一緒に耳も目も衰えた自分とは違い、芹達には誰の声かしっかり聞こえたようだ。

出迎えるために立ち上がった澄と同じように行こうとしたが、その前に三人に止められてしまった。


「待った。母上は僕と一緒にここで待って居ようね?」

「ああ、芥子はセリーと此処に居てくれ」

「私と樒が行くから……芥子姉さんは待ってて」


ちゃんと待ってるんだよ? 

そう念押しをしながら、澄と樒は早足で玄関へ迎えに行った。


少し出歩く程度ならまだ平気だと言うのに….樒達は一度も口を挟む暇をくれること無く行ってしまった。もう澄の長い髪の一端も見えない。

そこまで今の己は、危なっかしく見えるのだろうか?


「樒様も澄ちゃんも、もちろん僕も。みんな母上が大事だから心配しちゃうんだよ。

だからそう面白い顔しないで。この気持ち、母上だって分かるだろう?」


不承不承な気持ちでいるのが顔に出ていたのか、芹がからかい混じりに芥子を宥めた。

微妙な顔をしていたとは思うが、面白い顔はしてなかった筈だが……相変わらず、この子の感性は分からないものだ。


だけど、心配になる気持ちは自分も分かっている。今まで見送った家族達に対して己が抱いてきたような感情を、芹達はいま抱いているのだろう。

少しでも無理をして欲しく無い、穏やかに安らかに、出来るだけ苦しまずに居て欲しい。そんな気持ちを。


……がしかし、そんな気持ちを抱かれる側になったからこそ分かること、思うこともあるのだ。


「ええ、気持ちは理解しているわ。

けれど、される側になったからこそ思うこともあるのよ?」

「へえ……というと?」

「安静に寝てばかり居ると、体に根が生えてしまいそうで……正直少しでいいから動きたいの。

此処のところずっと寝てたのもあって、体を動かしたくて堪らないのよね….」


思わず大きなため息が出てしまうが、仕方ないだろう。


体は確かに重いし苦しい。だけどまだ歩けるのだから、ちょっと位は動きたくなるのだ。部屋の天井を眺め続ける生活というのは、思っていた以上に心身に来るものがある。


「きっと父さんたちも、似たような気持ちを抱いたのでしょうね……。

思えばまだ動けていた頃、みんな庭や家を歩いていた気がするわ…..」

「ああ……ずっと同じ状況だと飽きを覚えるからね….」


伽羅や梔子も、最期の方はこんな気持ちだったのだろうか。向こうに行ったら聞いてみよう。きっと面白おかしく当時どう思っていたか、話してくれるに違いない。


もう直ぐいく未来を想うと、楽しくてつい顔が綻んだ。ああきっと、あっちでもあの二人は騒がしいのだろう。

そう考えると、向こうに逝くのが少し楽しみになってくる。


そんな風に遠くを想い浮かべていたら、芹が急に湯呑みをお盆いにおいて、立ち上がり此方に手を差し出してきた。


「それならしょうがないね。

待っているように言われたけど、僕たちも迎えに行こうか」

「えっ……いいの?」


戸惑い目を瞬かせていると、芹はしょうがないなと言いたげな顔で笑い、芥子の手を引き無理やり立ち上がらせた。

突然のことによろけてしまう母を支える腕はしっかりとしており、そんな息子の姿につい感慨深くなるのは、きっと親心というものだろう。


「いいよ。動かないのは、それはそれで体に毒なんだろう?

まあだけど心配な気持ちは変わらないから、僕の手を掴んでてね。

転んだら怖いから」


苦笑い気味に差し出された手に、芥子はそっと手を乗せた。


「ふふ、ありがとう。芹」

「これくらいお安い御用だよ。

ゆっくり歩くけど、きつくなったら直ぐに言ってね?」

「ええ、わかったわ」


手を引かれながら、二人で玄関へと歩きだす。

ゆっくりとした歩幅は歩きやすく、息子が己を思ってそう歩いているのだと思うと微笑ましくて堪らない。


「ぁ……」


ふと庭を見上げると、ちょうどツバメが梅の木を飛び立ち何処かへと羽ばたく瞬間だった。


(……そう言えば、来世はツバメになりたいと考えていたこともあったわね)


ああ確かそう、まだ元服してまもない春のことだ。

戦闘ではあまり役立てず、だから戦闘以外の面で役立とうとしたが、それで良いのかまだ迷いがあった頃。今のように庭先で自由に羽ばたくツバメが羨ましくなり、つい次の生では自分もあの様になりたいだなんて現実逃避をしたことがあったのだ。


(確かそんなこと考えてる自分が恥ずかしくて、記憶の奥底に沈めて忘れようとしてたのよね……懐かしいわ)


今はもう、そんなことは考えていない。迷うことはあった、これで良いのかと自問自答した日もあった。だけどそれでも、精一杯やれることはやったのだ。

だからもう、現実逃避は必要無い。来世に賭ける気が起きなくなる程度には、今世をやり遂げたと思っているのだから。


ただ心配性な気質のせいで、ちょくちょく不安の種を産んでしまうこうとはあったが……そこは芹が、息子がどうにかしてくれるらしいから、もう良いのだ。


目で追っていたせいで足取りが遅くなったのか、芹が振り返り不思議そうに首を捻った。


「ん?どうしたの母上」


自身を見下ろす程に背の伸びた息子と目を合わせる。心配させないよう、芥子は何でもないと微笑んだ。


「なんでもないわ。ただ、今日は本当にいい天気ね….って。

これなら天国にだって行けそうだなあ……なんて、思っただけよ」


心地よい日差しに包まれて、大切な息子に手を引かれ、大切な家族の元へと足を向けて。芥子は再び、優しく微笑んだ。