百鬼一族 血脈の書

百鬼一族 血脈の書

当サイトは俺の屍を越えてゆけ リメイクのプレイ日記となります。

そういうもの

「癪に障ります。

好き放題している彼女と、それを野放しにしている貴方様が」


突然の芹の言葉。それを受け和やかに賑わっていたはずの風呂場は、樒達の僅かな動作で起こる湯船の水音だけが、静かにこの場に響くのだった。


いつも通り日課の鍛錬をこなすと、寒い一月であろうとそれなりに汗を流してしまう。この時期の場合、体を拭いて服を着替えるだけで済ませる時もある。しかしここ最近は、鍛錬後に風呂に入るのが樒の中で密かに流行っていた。

このところの習慣に基づいて日課後にのんびりと風呂に入っていたのだが、今日はいつもとは違うことが起きのである。


急な通り雨に襲われたらしい芹達が、自分達も入っていいかと声をかけてきたのだ。

少し前から雨音がしていたなと気付いていたが、どうやらかなり強く降っていたようで。浴室に申し訳なさそうに顔を覗かせた芹はずぶ濡れで、寒そうに体を縮こませていた。

このままでは体が冷えて風邪を引く可能性を危惧した樒は、狭くても良いのならと、共に入ることを承諾したのだった。そう、それが僅か十分も前のことである。


「……癪、か」

「はい。

目に余る、とも思ってはいますが」


大人二人程度まで余裕で入る浴槽で、端と端に座って顔を突き合わせて笑う芹の顔を樒は覗く。

動物の耳を彷彿させる髪型は、雨に濡れたせいで倒れ伏している。毎日欠かさずしている化粧も落とされて、今の芹はいつもより幼く見えた。

だがしかし浮かべる笑みは常と変わらず、柔和に己を見据えている。


「もしや樒様は、まともに手綱を握る気が無いのでしょうか?

それとも、敢えて好きにさせているのでしょうか?

……どんな意図で現状を良しとしているのか、是非教えて頂いても宜しいでしょうか。ええ」


口を挟む隙無く言い切った芹の様子だけでは、深い真意は分からない。しかし漠然とだが、感じ取ったものもある。


(……..これはかなり、言いたいことが溜まってるみたいだな)


そう思わせるだけの迫力と力強さが、芹の言葉には含まれていた。

顔は完璧だが、言葉はまだ取り繕うのが上手ではないのだなと、心の奥底で樒は独りごちる。


これは真摯に向き合わなければ、今後の信頼関係にも響きそうだ。目の前から送られてくる圧を尻目に、樒は冷静に何と答えるべきかと思考を彷徨わせる。


顔に張り付く前髪を後ろに撫でつけて、柵越しに見える窓の外に視線を流す。前方を向いたままだと、誰かさんがずっと笑みのまま見てくるので言葉の整理がやり難い。

僅かに見えるガラスの向こうは、重暗い曇天の色。はっきりと視認することは叶わない。


(ああ、そうだ。あの日もこんな天気だった)


あの日、今月の討伐から帰宅した日。あの時も今のように、雨が降っていた。

 

 

 

 

 

 


「樒様、皆様お帰りなさ……って、わ、ェえ!?」

「ただいまイツ花。二人とも、後は任せた」

「……」


驚くイツ花に雑に言葉を返して姉にソテツを任せると、樒は髪から水が滴り落ちるのも気にせずに腕を引いて大股で廊下を歩いて行く。

帰路の途中で降り出した土砂降りの雨。もう少しで家に着きそうだからと雨宿りもせずに濡れながら走ったせいで、指先が冷えて感覚が鈍い。

だがそれよりも、今の樒はぐつぐつと煮えたぎる心の音がうるさくて熱くて。そんなことは気にも溜まらかった。


「————は、はい。お帰りなさいませ……?」

「はあい。

ソテツちゃん、雨に濡れて体が冷えたでしょう? お風呂に入る?」

「..…ああ」

「あの、….か….……う….?」


戸惑うイツ花や山茶花達の声が、速足で歩いているせいでもう囁く程しか聞こえない。

掴んでいる腕の主は何も言わず、俯いて静かに着いてきている。

..…….ほんの一月前の彼女と比べて暗くなったその姿に、何故だか今すぐ髪を掻きむしりたい衝動を覚えた。誰が彼女を、澄を、こうしたんだ。


「適当に座れ」

「……うん」


自室に入ると腕を離して、樒は襖を閉めた。

座る澄に背を向けて押入れを開けると、膝をついて下段に収納されている箪笥から手ぬぐいを二枚取り出した。


「そのままだと冷える。これで拭け」

「あ、……うん。ありがと」


澄に手ぬぐいを渡すと、此方と視線を合わすこと無くのそのそと髪を拭きだした。

よくないことをした自覚があるからこっちを見ないのだろうか。苛立っているせいで眉間にしわを寄せたくなるが、そうすると怖がらせるかも知れない。

樒は静かに息を吐き出して、水を吸って重くなった鉢巻と組紐を取り、雑に髪を拭って気を紛らわせた。


枯れ果ててしまった自身の花に当たらぬ様に、慎重な手つきで毛先の水分を手ぬぐいに吸わせている。そんな澄の前に座ると、樒はなるべく普段通りの声音を意識しつつ、此処まで連れてきた本題を持ち出した。


「……どうして朱ノ首輪を無断で持ち出した」

「……」


座らせて澄の顔を覗きこむ。問いかけをを受けて、彼女はぎゅっと下唇を噛みしめて俯いてしまった。


乱れた心情のせいで更に言葉を募りたくなるが、樒は拳を強く握ることで耐え堪える。ああ全く、こんな時はどうすれば良いのだ。


(気まずそうな姿を見るに、恐らく俺が怒っているのはわかっている可能性は高い。

精神が不安定な人間の対応なんて、生まれてこの方まともにしたことが無いと言うのに……。キツい言動をしなければ良いのか? この対応は適切なのか?

澄を追い詰めてなければいいが……)


頭を悩ませつつも、樒は何も言わない澄に再度声をかける。

見た目も中身も年相応はあると自負しているが、それでも人生経験は呪いの無い人々と比べるとかなり浅い。それ故に対応が適切かどうか、どうすればいいのかと悩んでしまう。


「……」

「澄、教えてくれ」


樒の催促を受けて、澄は手ぬぐいを掴み更に小さく縮こまる。


「…………」

「澄」


これ以上何度も声を掛けたら萎縮してしまい、何も答えてくれない可能性もあるのでは。そう考えた樒は一歩後ろに下がり、静かに澄が口を開く時を待った。


「.………が、……….の」

「? すまん、もう一度言ってくれ」


体感で一分、いや数分は経った時のこと。

このままでは埒が明かないと観念したのか、それとも腹を決めたのか。澄は痕の残る首元を触りながら、下を向いて畳に目を向けたまま、少しずつ理由を話し始めた。


「力が、欲しかったの」


どこを見ているか分からない仄暗い表情で、澄は畳に置いた手に力を込めて握りしめる。


「強くね、なりたかったの。あいつに負けない、今度こそ届く手段が、射れる技が、欲しかったの」

「……….だから勝手に持ち出したのか。どうして俺……いいや、せめて誰かに相談しようとしなかったんだ」


静々と、淡々と。澄は理由を話していく。

それを聞いてどうして、何で。朱ノ首輪は強力だが危険な代物だと知っていただろう、二人一緒に先代や芥子達に習っただろうと、胸のうちに溢れる沢山の言葉を、樒は何とか喉元で飲み込んだ。


「……ごめんなさい。そんなこと、思いつかなかった」


本当にその発想が無かったのか、澄はぱちくりと大きく瞬きをして目を見開いた。しかしその顔は直ぐに歪み、下手くそで引きつった笑顔を浮かべて樒の方に視線を向ける。こちらを見ても、それでも彼女は未だに目は合わせてくれない。


「最近ね、私本当に変なんだ。気が付けば朱ノ首輪を持ち出してて……討伐に出てて。いつの間にか、首輪を着けていたの。

……..ごめんね、意味わかんないよね」


ごめんなさい、自分でも可笑しなこと言ってるってわかってる。でもね、本当なんだ。


言いながら目に涙を溜めていき、堪えきれなくなったのか澄はまた下を向いて水を零す。

樒は出そうになったため息を呑み込んで、出来るだけ優しい声でそうかと頷いて返した。


(梔子の死と、朱点童子の正体と、解呪出来なかった事実。特にこの三つが大きく起因していそうだが……….いや、それは今はいい。

情緒が乱れているせいで冷静さを失い、視野が狭まっている。澄がこのままだと、いつ致命的な事態に陥っても可笑しく無いだろうな……)


さてどうしたものか。粗方拭き終えた髪の具合を見ながら、樒は脳みそを回す。

こうやって解決策を考えるのは、もうしでかしたことに怒り続けるより生産性がある気がして、少し気持ちが落ち着く。


「ふ、ぅ….っ、ごめん、樒。ごめんね……ごめん、なさい」

「…………いい、謝るな。目が腫れる」


持っている手ぬぐいのまだ乾いている部分を使って、ぼろぼろと泣きじゃくる澄の涙をそっと拭う。


……どうすべきか考えたいが、目の前で泣いている妹を無視するのは良心が痛むというもの。己の中で少しずつ少しずつ苛立ちが萎んで、それよりもずっと泣かれて困るなという思いが優っていくのが分かる。


「自分でもね、最近の自分が可笑しいってわかってるの。ダメなことしてるって。

だけど、どうすればいいか、わからないの。どう、すれば、元の私になるのか、わからないの」


持っていた手ぬぐいを握りしめて困った様に眉を下げると、でもねと、澄はぽつぽつと心の中で渦巻いて暴れ狂っている感情を教えてくれた。


「馬鹿みたいに解くことが出来るって信じてた、あの頃の私を思い出すとね?

苛々して、胸の中がどろどろして、腹ただしくて堪らなくなるの。……そんな馬鹿で愚かな私だったから、私はこうなってしまったのに」


はは、馬鹿みたい。口元を歪めませて、澄は自重の笑みを浮かべる。

もうこれ以上自分を苦しめる言葉を吐いて欲しくない。しかし、彼女は今吐き出すことで、気持ちの整理をしている様に見える。もう少し、様子を見よう。


「あたりまえだけど、あの頃の私は、将来こんな風になるなんて知らない。

だから馬鹿みたいに毎日楽しそうにして、幸せそうに笑って、ありもしない未来を考えて……….ねえ、わかるでしょ。見てよ、今の私!」


胸に手を当てて高らかに声を上げると、澄は涙を流しながら壊れた様に笑う。

その姿はとても、とてもかつての彼女では想像もつかない程に、悲しみにまみれていた。


「こんな酷いこと思う人間じゃなかったのに! こんな自分勝手でみんなを危ない目にする人間じゃなかったのに! 可愛いね、綺麗だね、素敵だねって言って貰えた花も枯れて! こんな、こんな、恐ろしい顔してなかった筈なのに!

変わったの、変わってしまったの、あのヘラヘラ笑ってた馬鹿みたいな私は死んじゃったの!」


髪を振り乱して喚き、堰き止めることの出来ない涙がぼたぼたと零れ落ちていく。

 

「あは、あははっ、馬鹿みたい、ほんっと馬鹿みたい! 気持ち悪い、気持ちわる! あは、あっははは……ッ!!」


ひとしきり笑い終えると、今度は気落ちした様に肩を落として、澄は手で顔を覆った。

まるで躁鬱の様な妹に、樒は何と声を掛ければ良いかますますわからなくなってしまうのだった。


「理不尽なことを、考えてしまうの。

何も知らずに生きている全てが憎い。自分以外の、楽しそうに笑っている人全てが嫌なものに見えちゃう。

こんな酷いこと、前までちっとも思わなかったのに。変わりたくなんて無かったのに……」


どうして、どうして。枯れることなく流れる涙。

樒は己の服の裾を使って、今度は荒く涙を拭いた。


「ぅ゛わッ、し、樒……!」


慌てながら自分の名前を呼ぶ澄に、そういえばと、気になっていたことを問いかける。今問いかけるのはどうかと少々ためらいはあったが……話題を変えることによって、彼女の気を紛らわせることが出来るかも知れないのだから。


「呼び方」

「ちょっといた……え?」

「俺や芹達の呼び方。どうしてあだ名で呼ぶのをやめたんだ?」


拭いていた手を引いて問い掛けると、澄は気まずそうに目を伏せた。


「……だってもう私は、馬鹿でヘラヘラ笑っていたあの頃の私じゃないから。

あの頃みたいに呼んだら、幸せだった時のこと思い出して、でも自分は変わってしまたって再認識して、……悲しくなるから」


だからやめたの。そう言って澄は、寂しそうに笑った。


こんな時、直ぐに上手いことを言えない自分が憎たらしい。ほんの少しでも彼女の心が軽くなればいいと、樒は柄でもないが、おそるおそる澄の頭を撫でた。


「……樒って、こんなことする人だったんだね」

「らしいな」


そんならしからぬ行動を、澄は僅かに目尻を細めて受け入れた。

ほ、とこっそり安堵の息を吐く。樒は撫でる手を止めずに、今の自分が彼女に何が出来るのか、目を閉じて思考を回した。


(今の不安定な澄に、安易な共感や同情は返って悪化を招くかも知れない。

人を慰めたことも優しい言葉も得意じゃないが……だからといって泣いている澄を無視する程、俺はもう情に薄く無い。出来るかぎり側に居て、支えよう)


だがその前に、一つだけ言いたいことがある。澄の発言のある部分が無視出来ない。それについて言及したら支えだそう。

決意を決めて目蓋を開けると、樒は澄に声を掛けた。


「……澄、言いたいことがある」

「え、なに?」


樒は寡黙なせいで大人しい人間だと勘違いされ易いが、実はそんなことは無い。

昔はそこまででは無かったが、成長するに連れて我が強くなり、今や家族を傷付けられると心の火山を大爆発させる様な男に成長したのだ。


故に大江山のあの時、自分達を愚弄した黄川人にかなり苛立っていたりもしたが、その話はまたいつか。


「お前は傷付いんだ….し、悲しんでいるんだと思う。

悲しくて辛いから、周囲に目を向ける余裕が無くて、だからどんどん悪い方へいってしまている……のだと、俺にはそう見えた」


この言い方が適切なのかわからないせいで所々詰まりながらも、樒は彼女に向けて己の思いを伝えていく。


「悲しい、辛いと思うのも、それは別に可笑しなことじゃない。酷いことでもない。その感情は、誰しも持ち合わせてるものだ。間違いじゃない」


言いたかったことを言えて、樒は若干の達成感を覚える。これだけはどうしても伝えたかったのだ。


「……….こんなに苦しいのに? 

叫びたくなって、全てぐちゃぐちゃにしたくなるくらいの激情に駆られるのに?

それなのに間違いじゃないの? ……前までの私は、こんなこと思わなかったんだよ?」

「ああ。その感情はみんな持ってるものだ。もし暴れたくなったら……時と場所を考えてさえいれば、好きにしたらいいだろう」

「….そういうものなの?」

「そういうものだろ。

俺が良いって言っているんだ。文句がある奴がいたら、意義があっても押し通してやる」


これでも当主だからな。かつてここに居た彼等を参考に、わざとふざけて樒は場を茶化す。

その姿が可笑しかったのだろう。澄はやっと、本当に久しぶりに、くすくすと声を上げて笑い声をあげた。


「そっか。……へへ、うん。そっかあ、それなら、仕方ないね」


赤く腫れあげた目元や、萎れた花や首の痣は変わらず痛々しい。だがそれでも、この子は笑顔は愛らしいものだ。


ころころと笑う澄の顔の前に手を出す。なあにと不思議そうに首を傾げる妹に向かって、樒は勢い良く額を弾いた。


「あいだっ! 何するの!」

「ただし」


痛かったのか涙目でこちらを睨む澄の言葉を無視し、樒は語気を強めて指を立てた。


「今言った通り、時と場所は選べ。

今回の討伐も先月の大江山も、一歩違えばお前やみんなが危険な目に合っていたかも知れないんだ。

だから次何かしたくなったら、必ず誰かに言え。いいな」

「……….うん、ごめんなさい」


首を振って、澄は肯定した。


長く話していたせいで、濡れて冷えていた体はなお冷たくなっている。

心が弱ると体にも影響があると言う話を思い出した樒は、再度襖を開けて箪笥から厚めの上着を取り出すと、澄の肩にそっと掛けた。


「次から気を付けるならいい。

今日はもう疲れただろう、冷えただろうし早く休め」


手を引いて立ち上がらせると、樒は障子を開けて促した。

澄は掛けられた上着の礼を言った後にもう一度謝ると、廊下に足を運んだ。


「……‥澄、」

「なに?」


部屋へと帰ろうとする澄が振り返る。敷居越しに顔を合わせる彼女に対し、樒は最後に一ついいかと話しかけた。


「もし他の奴がお前が付けたあだ名を呼んでいたら、それも思い出して辛くなるのか?」

「え……?」

「教えて欲しい」


澄はううんと唸り少し考えた様子を見せるが、直ぐに答えがでたのか、首を振って大丈夫だと口にした。


「ちょっと複雑だけど……でも気に入ってくれてるなら勿体ないし、他人事は他人事だって区別はちゃんと出来るから。そこは大丈夫だよ」

「そうか。……わかった、ありがとう」

「ううん」

「呼び止めて悪かった、早く着替えて休んでくれ」

「うん、樒もね」


それじゃあね。澄は二度三度軽く手を振って、自室へと向かった。

樒も討伐後の後処理や家族の様子を見るために、部屋を後にするのだった————————

 

 

 

 

 

 

あの時のことを振り返り終えると、樒は静かに目蓋を開き芹を見据える。

静かに怒気を醸し出す彼に、変に繕った言葉は下策だろう。この狐は自身が化けの皮を被るのは好むのに、他者が、特に俺が繕うのは、好みじゃない様だから。


「二度に及ぶ澄の問題行動の件は、お前の言うとおり俺が手綱を上手く握れていなかったせいだ。

そのせいでお前たちを危険に晒したのは、申し訳ないと思っている」


すまなかった。浴槽内なので僅かに頭を下げることしか出来ないが、それでもしないより良いだろう。


一、二、三……数字を数え終えると、静かに頭を上げる。自分を見る芹の視線に、変化は無い。じっとこちらを見ていて、まるで続きを促している様だ。


「当人には既に厳重注意をしている。何かしたい時は誰かしらに相談する様言い含めたし、討伐時は出来る限り俺の手が届く範囲内に居させる。

もし澄が相談してきたら、聞いてやってくれ」

「……それは、命令でしょうか」


値踏みする目を向けたまま、芹は質問を返す。

そんな慇懃無礼な彼の様子がツボに入ってしまったのか、ついつい面白くて。張り詰めた空気と瞳を気にせずに、樒は表情筋を動かした。


「いいや、これはお願いだ。

どうするかは、お前の好きにしてくれ」


肩を震わせて返答すると、そんな樒の様子に気が抜けたのか、芹は小さくため息を吐いた。


「……はあ、わかりました。僕の好きにしますよ。

貴方様が何もしていない訳では無いとわかりましたし……ね。

無礼な物言い、お許しください」

「別に気にしていない。俺はお前のそういうところを嫌っていない」


寧ろ面白いと思っている。そう伝えると、芹は樒様こそ面白いですねと口元に手を当てて笑った。


二人して笑って和やかな空気に浸っていたと言うのに。突如、二人共横殴りのぬるま湯飛沫を浴びせられる。


「わ!?」

「ッっ!!」


芹と共に飛沫が飛んできた方向、洗い場を見やる。そこには身体を洗っている途中のソテツが、起怒った顔でシャワーを向けていたのだった。


「お主らなあ!!?

そういう話は二人きりでしてくれ!! 一人気まずかったではないか!!」

「ごめんねソテツ」

「俺たちのことは気にしないで良かったんだが」

「我空気読める子だから。樒の返答を待っていたせいで体が冷えてしまったぞ!

どうしてくれる!」


元気に主張するソテツに、悪かったと謝罪を口にする。本当に無視してくれてよかったと言うのに。


自分はもう大分温まった。体が冷えたなら、ソテツは一度湯船に浸かるべきだろう。

樒は立ち上がって湯船を出た。


「俺はもう上がるから、冷えたなら湯船に浸かっておけ」

「おや、宜しいのですか?」

「ああ」


壁に掛けていた湯上り手拭いを使って体を軽く拭いて、腰に巻く。


ああそうだと、浴室から出る前に、忘れていたことを思い出す。樒はくるりと振り返り、口を開いて二人に声を掛けた。


「……二人共」

「なんだ?」

「如何致しましたか?」

「長風呂して、逆上せるない様に。セリー、ソテッちゃん」

「……!」

「樒、そなた今……」


初めてあだ名で彼らを呼んだせいか、芹もソテツも驚いた顔に表情を変えた。

それを愉快に思いつつ、ふと、樒は窓に目を寄越す。通り雨はもう過ぎ去ったみたいで、日差しが顔を覗かせていた。


止まない雨は無い、と言うことか。なんて独りごちて、樒は浴室を後にした。